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20年程前の話。
まだその頃は僕も名人になりたくて名人と言われる先生方がたくさんおられる東京の研究団体の勉強会に毎月上京していた。
そこでは一定のスタイルがあって古典理論だがシステマチックで理路整然としていて理屈っぽい僕にはぴったしだった。

最初は。

最初は…だ。

そこでは受講者のスキルを量るのによく治療に掛かっている時間を問われた。
同じ内容の治療をできるだけ短い時間でやり遂げることを求められる。

「時間ばかりかけちゃだめだよ!」
「そんなことしてたら1日に何人もできないでしょ!会長なんか1日80人やってるよ!」

僕は10人ちょっとで精一杯。でも目の前にあることを端折れないからどうしても時間がかかる。端折らずに時間短縮するにはもっと技術を上げなければと本気で思っていた。たしかに講師の先生や先輩にはあっという間に素晴らしい脈状をつくれるひともいる。

脈状というのは東洋医学の重要な診察法のひとつ「脈診」の用語で脈の状態(脈の打ち様のことで何十種類にも分類される)のことだ。病症のある人は脈状が悪い。健康な人は一般的に脈状が良い。だから病症がある人の脈を鍼によって一時的にでも良い脈状にすると自然治癒力が増して快方に向かうという理屈だ。

この考え方自体に間違いはない。

しかしだ。

脈状が良くなったからと言って症状が直ぐ取れるとは限らない。しかし勉強会では症状が取れないのは刺鍼技術の足りなさだと断じられるしこちらもその通りなのだろうと自分の至らなさを悔いる。
後から気づいたのだがこの方法は間違いの少ない方法ではあるが方法論に融通性が乏しくドラマチックな治療のチャンスをみすみす逃すことも多い。長期で継続治療をするのには有効だが今すぐ結果を求られる時にこの方法だけで患者さんを満足させることができる鍼灸師は少ない。
僕もそのひとりで10分もあれば脈状はなんとか整えられるがそれだけで患者さんを満足させきれないし自分もこれで良い治療ができたとは納得できないでいた。納得できていないがそれは自分の技術の無さが故だと思っていたのでそれをなんとかしたくて毎月上京していた。10年通った。

その日もそうだった。カイロプラティックの事故で胸椎を圧迫骨折をしたが医者からもさじを投げられてしまった70歳になる女性の患者さんを四苦八苦して治療していた。名人の〇〇先生ならこんなものものの5分もあれば患者さんをすっきりさせるんだろうか…なんて思いながら40分程かかってやっとその日の治療が終わった。午前の最後の患者さんだったので他に人もなく会計が済んでからも少し世間話をしてにこやかにしてあったのだが、いざ、「では、お大事に」と挨拶をすると患者さんが急に深刻な顔になってモゴモゴし始められた。

なにかこちらがしくじったかな…?! と

「なにか…?」と聞くと

「あの…ちょっと…」

「はい?なにか?」

「あの…」

「はい」

「あの…ちょっと相談というかお尋ねしたいんですが…」

女性の相談はご主人との性交渉の悩みだった。高齢になると分泌液が少なくなって性交痛が起こることがあるがそれが辛いらしい。加えて胸椎が大きく変形しているので交渉中それも辛いらしい。ただ、ご主人が元気なのでなんとかお相手をしないとご機嫌を損ねてしまうので困っているというのだ。
色々な解決法があると思うが性交痛には東洋医学的に判断して「麦門冬湯」をアドバイスしてさしあげて背骨の件は整形外科的に無理のない体位をアドバイスしてさしあげた。
結果を言えばとても旨くいってその後の夫婦生活は順調になったらしくとても喜んでもらえた。

相変わらずマクラが長いがこの時の経験が今の僕の臨床スタイルを決定づけた。

その時、相談を受けてとりあえずアドバイスはしたが患者さんが帰られた後、僕は考え込んでしまった。
当時僕は30代前半だったがまだ結婚していなかった。その僕に70歳とはいえ異性から性の悩みを相談されたのだ。いくら僕が医療従事者とはいえ患者さんの気持ちを考えれば相当の抵抗があったに違いない。その時の思いつきで軽く相談したのではないに違いない。それよりずっと前から今日話そうかいつ相談しようかと悩んであったに違いないが他に人がいたら相談し辛いしそのタイミングに相当苦慮されてはずだ。

あの時は偶々昼休み前で他に誰もいなかったから。それでも、もっと軽い気持ちで相談できたのであればあの日は治療中でも充分相談出来たはずだ。それが帰る間際までできなかった。その気持ちを考えると胸が締め付けられた。

もしも、今日こんな場面にならなかったら…

僕が名人みたいにチョチョチョ~ンと上手に治療をあっという間に終わってしまっていたらこの患者さんはこの悩みを切り出せたろうか…

もし、僕以外でこんな悩みを相談できるところがこの患者さんにあるんだろうか…

あるかもしれない。あるかもしれないけれどそんなに沢山はないだろう。僕にとっては今初めて体験したことだけれど世の中にはこんな風なことは結構あるに違いない。でもそういうことをフォローできているところが他にあるだろうか。

僕が下手くそで時間ばっかりかかっていたおかげで患者さんは切り出せた話しに違いない。
それに気づいてしまった僕はこのことに目がつぶれなくなってしまった。

当時は世の中、効率・効率と効率が良いことが正義のような風潮もどこかあって西洋医学の医療現場にもそれが蔓延していた。所謂、3分間診療なんて言われるような医療の流れから取りこぼされていく患者さんたちがいることへの問題意識はすでに自分の中にあったのだけれどいつのまにか自分自身もその流れに飲み込まれそうになっていたのに気づかされた。

幸い東洋医学は西洋医学的に言えば総合的診療科目なので身体全体いや人間を診る医学だから何の付け足しも要らず今まで通りのことをやっていけば良い。ただ今日のような場合を考えれば10分やそこらで診療を終わっていたらお話にならない。逆に時間をかけて診療しなければいけないんだということに気付いた。
その頃の僕は実際に鍼だけやったとしても30・40分はかかっていたから手を止めてお話をじっくり聞くと1時間も1時間半も診療にかかってしまうようになった。

東京に行くと「君、今どのくらいの時間かかってんの?」と相変わらず聞かれる。
いくらなんでも「1時間から1時間半はかかります」なんて言えないし口ごもってしまう。でもこの新しいスタイルを止める気は全く起こらなかった。
理由は簡単。患者さんの喜ばれる顔。時間をかけた結果得られる評価。凡人の僕でもできることをみつけたから止めるわけにはいかなくなった。

もうひとつ。脈診は不問診断法と言って患者さんからの訴えを聞かなくても患者さんの状態が推察できるところがある。だから脈診ができる鍼灸師には問診を疎かにしてしまう傾向がある。でも、これは大きな間違いだ。たしかに自分でもびっくりするようなことがみえたりもするけれどそれが全てではない。やっぱり問診が一番大切だ。その証拠にこの時僕は患者さんが勇気を振り絞って訴えたことを診療中に脈診では判らなかったわけだから。

当時、時間短縮を目指して切磋琢磨したことは無駄にはなっていない。確かに鍼だけだったら10分もあれば終わってしまえるくらいにはなった。おまけに今は「経穴ゲートスイッチ理論」に支えられているので旨くすると鍼一本で終わってしまうこともある。おかげで今現在は30・40分の診療でもゆっくりお話を聞くことができるようになった。しかし、たまにお話だけが長引いてしまって次の患者さんを少し待たせてしまうこともあるけど皆さん僕の診療スタイルを理解してくれているので助かっている。感謝。

もちろん深刻な話ばかりがあるわけではありませんし「お前と話をしに来たんじゃないさっさと鍼だけやっとりゃ良いんだ!」という方もあるのでそこら辺は臨機応変に対処しています。たまにしかないけれどいつそういう場面になるか判らないので診療スタイルを基本的には変えられません。僕みたいなのがこの世にひとりくらいいても良いんじゃない?って思ってやっています。