私は様々な経絡理論を基に鍼灸治療を行っています。

経絡理論を基にすると患者さんが訴える場所だけに鍼をするということはまずなくてその場所の経絡に関係する経穴に治療点を求めて症状の存在する箇所以外のところにも施術することが日常です。


だから例えば、膝が悪くない方にも膝の周りに鍼を打つことはしょっちゅうです。

そういう時、膝関節がかなり変形していて見るからに痛そうだけど

患者さんが受診された時の訴えには膝の痛みはなかったなと気になって「膝は何ともないのですか?」と聞くと「はい、昔は痛い時期もあったけど今は痛くないし正座もできます」という返事が返ってくることがあります。


臨床を始めた頃は私も西洋医学の影響がとても強く東洋医学的な診かたが未熟だったのでなぜ痛くないのか不思議でした。

しかし、臨床を重ねていくとそういう患者さんは結構たくさんおられることに気づきました。


今風に言えばfactの認識ですね。


東洋医学はfact認識の積み重ねです。一般には経験医学なんて言いますがfact認識を積み重ねて得たBIG DATAを二千年以上かけて沢山の臨床家の評価を経て淘汰された信頼性の高い医学です。


話を戻すと東洋医学的考察でしたらこのような症例がなぜあるかは簡単に説明できます。

つまりこの場合変形(器質的に異常な形)した膝でも気が十分に交流していれば症状は出にくいということの証だと思います。

逆に言えば器質的異常がなくても気の交流がうまく行われなければ何らかの症状が現れる可能性があるということも言えます。


つまり、普通膝が痛いと言って整形外科に行けば医師はレントゲン像の変形部分を指差してここがこれだけ変形しているから痛いのだと説明すると思います。そしてそれに沿った治療が計画されます。

しかし、実際にはその変形が今の膝の痛みの原因ではないかもしれないということが否定できないということなのです。


もう少し説明を加えると器質的異常がなくても精神的ストレス(特に怒り)があると膝の内側が痛くなることが良くあって、そういう時は関節に変形や炎症がないのに歩けないほどの痛みを感じることがあります。


もし、その時に仮に既に膝関節に変形があったらその変形が痛みの原因だと決めつけられてしまう可能性はとても高いのです。

しかし、その場合怒りの原因が解決しない限り整形外科的なアプローチを続けても痛みは取れないしそうこうするうちにそれまでなかった関節やその周囲に炎症が引き起こされて益々関節症状は複雑になっていくのです。


具合が悪くて病院にかかったけれど検査で異常が見つからないと「異常なし」と言われてガッカリする患者さんはとても多いと思いますが、それは今の西洋医学の検査が人体の不思議を全て調べ尽くせるわけではないので症状が起こっている原因を具体的に指差せないだけの話です。

「異常がない」のではなく「あなたの言う症状を説明できる根拠を今の科学力では見つけることができませんでした」と言うのが正しいのです。


ところが東洋医学的に言えばなぜ症状が起こっているかは病名は付けられなくても「気の流れ」で全て説明できます。

しかし、誤解されないように付け加えれば、説明できるから全て治せると言うことではありません。

なぜかと言えば全ての症例において「気」の調整ができるわけではないからです。


患者さんがどれほどの「気」を有しているかによって簡単な症例のように見えても治せないこともあれば奇跡のような回復を見ることもあります。

「気」は「自然治癒力の基」であってこれの多少によって治療効果に差が出るのです。


「気」は現代の科学力では可視化することも計量することもできませんがいずれ科学が東洋医学を正しく評価できるところまで発達することを期待しています。

私としては量子力学の完成によって観察や計量できるようになるのではないかと期待しています。