私が開業して2年目の冬、父から預かっていた78歳の女性が心筋梗塞で亡くなりました。私は亡くなる1週間前にこの患者さんの死脉を診ましたがそれが死脉を実際に観察した最初の症例でした。
元々この患者さんの固有の脉状はヤヤ洪・ヤヤ大・革・代でバッカバカと騒がしく打つ不整脉の強い脉状でいつ何が起きてもおかしくないような脉状でしたが最後に診た脉はいつもとは全く違って診えました。
洪、大がなく代も僅かで一見非常に穏やかな脉に診えました。一瞬随分と落ち着いておられるなと思ったのですがそれと同時に何か嫌な予感がしてもう一度手を取りなおしてよく診ると、、、
中脉がどこを探しても無い、、、
いつも溢れるようにバッカバカと乱れ打つ脉が、まるで嵐の去った後のように静寂としています。しかしそれは喜ばしいことではなく生命の危機を意味するのです。つまり中脉が無いということは胃の気が無いということで命の綱が途絶えてしまったことを意味します。
知識としては知っているのですが実際に診るのは初めてで慌てました。初めて死脉らしきものを診たので確信が持てません。どう対処して良いのか判りません。ただ頭の中で「胃の気の脉を補わなければ!」と繰り返しているだけでした。死脉と言うのはそれが観察されるときは患者の状態も見た目にも重篤な状態に陥っているように見えると思っていたのに目の前の患者が訴える症状といえばいつもの慢性的な下肢の神経痛だけなのです。
これではどちらが本当の患者の病態なのか経験の浅かった私は判断に確信が持てませんでした。結局、所定の治療を行ってみて中脉の変化を見ることにして、本治法を行ってみると陰陽のバランスは割りとスムーズに整うのに中脉が出せない。
結局、中脉を出せないまま治療を終わってしまいました。全てが初めての体験でこれから何が起こるのか想像もつかないけれど不安でいっぱいでした。それから2・3日は気になっていましたがその内思い過しだったのかなと思うようになりそうこうするうちに1週間が経ちました。
訃報が家族から届いたのはその1週間目の朝でした。昨晩、就寝中に心筋梗塞で亡くなったそうです。不安は現実のものとなってしまったのです。それ以来、あの時こういう事態を避けるためにもっと積極的にアプローチするべきではなかったか、自分にできることはなかったか色々自問自答しました。しかしあの時点では自分の力だけではあの患者を救うことは結局できなかったのだろうと今は思います。そしてその一番の理由は私が経験不足で自分の診脉力を信じきれなかったことです。今なら少なくとも患者に注意を喚起したり家族に助言するなりできるのですが、、、
次に患者の動脈硬化が元々かなり進展していて何か事あればそれを乗り切れるほどの生命力がなかったこと。そしてその生命力を高めるだけのパワーのある治療がその頃の私にはまだできていなかったことなどが主な理由です。
勿論、患者の年齢や体質などによって動脈硬化の進展の度合いは違いますからいくら経絡治療をしていてもいずれは動脈硬化は進展していくのですがその進展の度合いをゆっくりしたペースに落とすことは経絡治療でできると思っています。
それからこの20年間で幾つかの死脉に出逢いましたが死脉を触れた時のあの何とも言えない不快感にはまだ慣れません。ただその中の多くは経絡治療によって重篤な状態に陥ることを防げることもすくなからずあると思っています。(1999.1.1)
「臨床経絡入門 脈診」 脈差診と脈状診の違い 鍼治療の可能性(Part1) 鍼治療の可能性(Part2)