甘盛在(カム・ソンジェ:Song Jae Kam)君(華山針断院門主)から電話をもらった。

卒後交流はなかったし学生の頃もそれほど交流があったわけではなく何事かと思ったが僕のHPを見つけて僕の事を思い出したらしい。

学生の頃の甘君の印象は真面目なマイペースの左利き、記憶では時々彼の方から僕に声をかけてくるがそれは殆どが鍼灸についての真面目な内容の質問だった記憶がある。僕自身はみんなと同じ勉強をしていたわけだから当時鍼灸に関して特別秀でていたわけではない。ただ父が鍼灸師だったので業界の現実を家族の立場で良く知っていたのでここで普通に勉強していたって卒後直ぐに開業できるだけの技術は身に付かないというのは最初の年に痛感していた。だから2年目からは学校を毎月サボって京都の山奥から東京の東洋はり医学会の本部講習を受けに行っていたのでクラスのみんなからは変わった男だと思われていたのかも知れない。確かめたわけではないけれど甘君が僕に興味を示したとしたらそんなことが理由だったかも知れない。

「鍼灸は技術だ」なんていつ甘君に言ったかは記憶にないのだが甘君の中で何十年もその言葉が生きていたという彼の話を聞いて驚いた。確かに今もその気持ちは変わらないしその時もいい加減な気持ちで言ったはずはないのだが言った自分以上に重く受け止めていた甘君のその後を思えば言葉の大切さを痛感する。


前置きが長くなったがその甘君から珍しい鍼を頂いた。手紙に添えて入っていたのだが包みを開いて思わず息を呑んだ。それは日本刀が持つような妖気を放っていた。妖気というのは表現として良くないかも知れないが日本刀が武士の魂だとすれば鍼は鍼灸師の魂だ。甘君の説明では正式な名称はよく判らないが韓流鍉鍼と考えれば良いとのことだが一般に知られている鍉鍼と比べると鍼尖が鋭利である。
鍼尖は鋭利に研ぎすまされ根元に向かって次第に太くなって鍼体を形づくりほぼ同じ太さで鍼柄(直径約1mm)と繋がっている。鍼体の材質は鋼ではない。ステンレスのようにも見えるが何か銀かコバルトが混じっているような気もする。以前に藤本蓮風先生の講演を受講したときに先生が古代鍼と言って使っておられた物によく似ている。甘君の話では数年前帰韓した際に買い求めたが今は作る者が違っていてこれ程出来が良くないらしい。どこの国も後継者を作るのは難しいのかも知れない。

使ってみると意に違わずドラマチックに気が動く。1本の鍼で動かせる気の量が断然多いからこの鍼を初めて手にした者は自分の技術が急に上手くなったような錯覚に陥る者も多いだろう。だがこういう鍼は術者の気を必要以上に消耗することがあるから使い方を間違えないようにしないと術者は体を壊しかねない。

当に妖刀なのだ。使い方次第で術者諸とも生かしも殺しもする。

10数年前に気功の真似事を覚えて自分のキャパも考えずやたら患者に試していて体が変になりかけたことがある。一緒にやっていた研究会仲間の一人はとうとう体を壊して精神まで病んでしまった。最初、自分自身も気が動くのが面白くていい気になって一日中掌をかざしてやっていたところ次第に幽体離脱とでも言うのか体の実体とその宿主の自分とに1~2mmのずれを感じるようになった。「これはいかん。自分の分を越えたことをしている」と直感してそれ以来自分の念を必要以上に使って患者の気を動かそうとする方法はやめてしまった。平凡な鍼灸師はそれで良いと思っている。自分の分の範疇で最高の仕事が出来るように努力すれば良い。自分を助けてこそ人も救える。

この鍼のように気を大きく動かせる道具も同じように使い方次第では自分の分を越えてしまっていることに気付かないことが往々にしてあるから使い方には注意が必要だ。

使ってみると見た目に違わず良く気が動く。良く気が動くからもっともっとと自分自身にとって必要な気までも使ってしまい術者が体調を壊してしまう危険性があるところがこのての鍼の難しいところ。それでも旨く使えばちょっと手強い病症をすんなりと改善することが出来たりするからひとつ持っているととても便利だ。

例えば先日「鍼は初めてではないが以前他の鍼灸院で受けた鍼治療が耐えられないほど痛くて途中でベッドから降りて逃げるようにして帰ったことがある」と言う初診患者が来た。今回は知人の紹介で「痛くない大丈夫だから」と説得されて治療を受けてみる気にはなったが怖くて怖くて緊張が解けないと言う。確かに脉を診ると緊・数・沈・細・・・緊張の極みだ。「これはちょっとでも鍼響を感じたらそれ以上は治療は出来そうにもないな。最初の1本目が肝心だこんな時こそ韓流鍉鍼だな」と判断して一通り問診を済ませて治療方針も決めたところで更に問診や脉診や切経の流れを断ち切らないまま右の神門穴に韓流テイ鍼を置いて和法を施した。患者は僕が既に鍼を始めたとは気付いていない。患者との会話は途切れさせないようにしながらあたかも脉診か切経をしているようにしながら気が動くのを待っていると10数呼吸程して押手に感じるものがあったので鍼を取り患者に腰の具合を聞いた。腰の痛みは患者の意に反して無くなってしまっていた。不思議がる患者に今右手を触っていたのは実はあなたが怖がるといけないから鍼をしていることを隠していた。腰の痛みが取れたのは今鍼をしたからだと種明かしをした。患者は鍼響もなくて症状が取れるなどと言うことがあるなんて考えてもいなかったみたいで狐に鼻を摘まれたみたいにしていた。

kanryu-teishin


この症例は本来は単純な腰痛ではあるが患者の不安が大きいことを考慮して心経から子午的に胆経を調整した。加えて言えば少々根深い病症であっても気の流通の不調和が改善されるとその分だけは即座に症状が軽減消失する。そういう目的の鍼をするときにはこの韓流テイ鍼は優れた道具だ。脉状の保ち具合からしても一般的な日本の鍉鍼よりはるかに優れていると思う。
ところでこの鍼は甘君から頂いた大切なものなのでそれを記念してネイティブでは発音が違うかも知れないが僕自身は勝手に甘流鍉鍼と呼んでいる。2007.3.17