buttonbackTr


経穴ゲートスイッチ理論(仮説)の概略は全ての病症は気血の大過不及から起こるということ。そしてそれは気血の流通の不調和が原因であるということ。気血の流通はひとつながりの運河のようなものでその流通をコントロールするゲート(交会部)がありその開閉を体外から刺激し促すことができるのがゲートスイッチ(経穴)でありそれぞれの状況で開閉に必要なスイッチ(経穴)は決められているという考え方ですが、その理論に基づいて治療方針を立てていくと多くの理論が矛盾なく通用する空間の存在がはっきりしてきます。


私たち東洋医学の臨床家は自らの経験だけでなく数千年に亘る先人の臨床追試の結果によって気血や臓腑・経絡・奇経の機能の存在を素直に鵜呑みにすることができます。


そしてそれらについて語られる生理を基に治療理論が考え出されそれを基に治療方針を組み立てている臨床家が私も含めて多くいます。千年単位で淘汰されたそれらの治療理論はどれも優れてはいるのですが何れにせよ後付けですからヒトの生理を完璧にコントロールできている訳ではないのです


したがってどれか唯ひとつの理論に絞り込んで全ての病症には対応できないのが現実です。しかしだからと言って複数の理論を同時に使おうとするとそれぞれの理論同士がぶつかって整合性に矛盾を感じることもあります。それでもそれぞれの場面に応じて治療を組み立てざるを得ず治療結果は悪くはないがこの理論上の矛盾をどう解決したらいいのか真面目に考えれば考えるほど何か中途半端な気持ちに陥ることもあります。結果としてそう言う矛盾を生じさせない為には数ある優れた理論のどれか一つを支持して全ての病症にその理論一本で対処すると言う剛腕の臨床家も沢山いるわけです。


しかし仮にそこに矛盾を感じたとしてもそれぞれの理論が完璧にヒトの生理を解き明かし説明しているならまだしもそれぞれにどこか一面的であるということを考えれば矛盾は理論上のことであって生体の中では生理機能は全く整然としていて実はその矛盾自体が存在しないのだと私は思います。


平たく言えばお互いの理論の間に矛盾があっても現実に治っているのだから生体から見れば理論同士の矛盾は全てが後付けの理論であるが故であって実際の生体の活動からすれば矛盾はどこにもない筈です。



さて数々の治療法の共通する究極の目的は気血の調和を図ることに他なりません。ですからどのような場合でも気血の調和が図られれば仮に患者の求めるままに疼痛部位に鍼をするだけの治療でも治るときには治るものです。つまりその時は術者の意識の高低に拘わらず自然と気血の調和が図られたのです。実際の臨床とはそういうものですがそういう成功をより確率高くするために様々な理論があります。従ってどの理論が正しくどの理論が間違っているなどと言うことはないとも言えますし乱暴に言えば理論さえ要らない臨床家だって沢山居る訳です。しかし確率高く臨床成績を上げるにはやはり理論を持っていた方が目的の達成はより確実になります。


さてではどの理論を採るかですが登る山はひとつです。言い換えれば病理を照らす明かりが様々な理論であるとするとどの理論であってもヒトの病理を単独で照らしきるものはなく必ずどこかに影ができてしまいます。しかし別の明かりを足すことですべてを明らかにする可能性が出てきます。ですから術者は様々な理論を駆使して最良の治療方針を選択しなければなりません。


そこで既存の複数の理論を使っても矛盾を感じさせない方法論とそれを支える病症発現に至るメカニズムを仮定する必要があります。


それが経穴ゲートスイッチ理論(仮説)です。


経穴ゲートスイッチ理論(仮説)の概略は全ての病症は気血の大過不及から起こるということ。そしてそれは気血の流通のふ調和が原因であるということ。気血の流通はひとつながりの運河のようなものでその流通をコントロールするゲート(交会部)がありその開閉を体外から刺激し促すことができるのがゲートスイッチ(経穴)でありそれぞれの状況で開閉に必要なスイッチ(経穴)は決められているという考え方ですがその理論に基づいて治療方針を立てていくと多くの理論が矛盾なく通用する空間の存在がはっきりしてきます。


経絡治療と言うと診断の基本は脈診が中心のように思っている方も多いのですが脈診だけで問題のある臓腑経絡を全て特定するのは難しいことです。何故なら脈診はどこまで行っても術者の主観に拠りますから正にそのとおり客観性に欠けます。したがって術者の習熟度やセンスによって診断に大きな差が出易いのです。しかし問診で得る患者の訴えというのは正に事実ですからそこから導き出される病症考察や診断はその点において客観性があります。


しかしもし病症が少なく絞り込みに困るときには六部常位脈診は役立ちます。六部常位脈診は脈診の中では一番主観の入り込むのを抑えることができる診脈法です。


病症を弁別して診断する場合、複数の病症が一見脈絡なく発現している場合がありますがそれでも特に心配ありません。その発現の各々の部位や病症の性質を良く観察するとほとんどの場合病症の発現に関係しているのは経で言えば一経か二経に絞られます。そしてそれらの経が正に治療を施す経なのです。
この作業を確実なものにする為には各々の臓腑の生理、病症を良く知る必要がありますし経絡の流注を良く把握していることが重要になります。
私の場合は主に霊枢や難経の理論を基にしています。


また脈状診は特別主観的ではありますが患者の全体の状態を判断したり治療の可否を判断したりするのには非常に役立ちます。脈状診は確かに主観的なのですが術前術中術後の患者の状態の変化を観察するのには一番役立ちます。何故なら症状に変化が無い場合においてでも鍼をすれば脈状はその度に変化しますからその変化を観察することによって治療方針や選穴や手技の可否を判断できるからです。


さて本題に戻りますが経が絞られても治療穴になる候補はこの時点ではまだ沢山ありますから次に治療穴と成るべき経穴を絞り込みます。この時に既存の理論を色々と当てはめてみてその中に今発現している病症を説明するのに良く符合している理論があればその理論に基づいて選穴します。私の場合は難経を基にそこで紹介された複数の理論から診断し治療方針を導き出しています。特にどれかの理論によって説明できるような特徴がない場合は単純にその経自体から治療穴を求めても構わないと思います。加えて病症の性質によって経穴の性質を考慮したらより良い結果を生む場合もあります。例えば真熱がある場合に火穴を使ってみるとかです。


治療は原則として一鍼一鍼ごとに検脈します。検脈は脈状診で全体的に診ていった方が脈作りはスムーズにいくと思います。患者に具体的な症状があれば一鍼毎にその症状の変化を質します。症状が軽減したり消失したうえで脈状が更に良くなっていれば診断はほぼ間違いなかったと判断して良いと思います。一鍼終わってまだ症状が残っている場合はその病症がただ一経の不調和によって起こっているのではないことも考えられますからそのことを考察しながら次の一鍼を考えます。
もし最初の一鍼で症状が全く変化ないときは選穴に間違いがあるか診断に間違いがあるかが考えられますから原因を考察します。つまり最初の一二鍼は治療が目的ではあるのですが本来治療すべき経絡がどれであるかをスクリーニングする検査の役割も持っています。患者に病症の変化を質して良い返事が返ってこないと少々バツが悪いと感じたことのある臨床家もいると思いますがこの方法であれば全く動じることはありません。「検査をしたが第一に疑われた経には異常が認められなかった」ということになるだけですから。


以上が施術までのアウトラインです。これから先のことは沢山臨床経験を経て行く内に次第に芽生えてくる直感などが大いに役立つようになるはずです。
以上を要約すると


① 病症がどこに出ているか
② 病症の出方に特徴はないか
③ 内外因はないか


しかし臨床現場に立って間もない頃は知識も経験もまだ充分ではありませんから余り煩雑な弁証法だとそれを整理して証を導くのに戸惑いがちです。しかし、奇経治療においての弁証は病症の弁別がその殆ど※)でそれに対する治療穴も基本的には八脈交会穴の8つだけです。したがって複雑なフロチャートを会得していなくても初心者でも簡単に臨床実践できますし、弁証が単純な割にはその効果も素晴らしいものがあります。したがってこの私の示す簡単なフロチャートを会得して後、その他の厳密な弁証法へと広げていってもそれほど回り道にはならないと思います。それどころか臨床経験の少ない時期に於いても臨床家が出来るだけ多くの患者を救いたいという欲求に充分応えることが出来ると信じています。

※ 「奇経八脈巧」には奇経脈診が詳しく論じられています。