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臨床経絡

「経穴ゲートスイッチ理論」に基づいた臨床現場で役立つ経絡治療の紹介

沢山の東洋医学の理論があり、それを学校で学びますがどのように運用するかまでは教えてくれません。「経穴ゲートスイッチ理論」を理解すれば知識が臨床に活かせるようになります。

ここでは「入門」「症例集」「臨床ひろば」「異論な医論」の4つのテーマに分けて紹介しています。

異論な医論

百歳になったら

BlogPc100


変形性膝関節症の96歳になるおじいさん。両膝が歩く時痛くて辛いということで受診された。症状を聞くと歩く時関節がきしんで一歩一歩に痛む、最近は黙っていてもうずくように痛む。それ以外は食欲もあるし特に気になることはないらしい。問診していてとても96歳とは思えない。肌艶もいいしやや太り気味だ。76歳と言っても通る。
しかし、診ると両方の膝はかなり変形していてO脚が顕著だ。右膝は炎症性の熱感もあり腫れている。滑液包に水も溜まっている。左膝も水は溜まっていないが同様に変形がある。なかなかキビシイ状況で到底完全治癒は望めない。もちろんご本人もそれは分かってあってそこまでは望んでおられない。「手術は望んでいないし痛みがもう少し軽くなって楽に歩けたらそれで良い」と言われる。
付き添ってきた家族に聞くと膝以外は至って健康で今でも畑仕事をしているという。家族としては危ないので畑に行くのを止めてもらいたいのだが本人が言うことを聞いてくれないらしい。

「畑仕事さすとですか~!?」
「はい。鍬も使います」
「え~!耕すんですか?膝は痛くなかとですか?」
「はあ。痛いのは歩く時だけ。それがこの頃は黙っていても痛むようになってきました。何とかならんでしょうか・・・」

状況はなかなかキビシイが僕は諦めの悪い男で患者さんが諦めない限りこちらから諦めることをできない。
出来ない理由は性分でもあるのだが今まで「駄目かも・・・」と思っていた症例が驚くような良い結果を出すことがあるのを何度か経験しているからだ。

「何度か」だ「何度も」ではない。

おまけに自分が治したと言う実感も無い。「凄い生命力だなあ!」とか「ついてたなあ・・・」とか患者さん頼りだ。それでもそこに僕も関わっていて何らかのお手伝いは出来たという気持ちはある。だから簡単にはこちらから諦める気にならない。とにかくやるだけのことはやってみたい。

まず、関節に溜まった水だがこれは「そば粉湿布」が一番。からだに起こる症状は特別な場合を除いて体を守るために必要な現象だ。水が溜まるのもそう。本人は腫れて痛んだり曲げにくかったりとつらい事ばかりだが滑液包にいつもより水が溜まって関節の骨同士がぶつかり合ってこれ以上傷つけ合わないように引き離してクッションの役割をしたりギブスの役割をしたりしている。だから原則として水は抜かない方が良い。しかし理屈はそうだが時に過剰に水が溜まることがある。こんな時そば粉湿布をすると必要充分な水を残して余分な水は抜けてくれるからそれだけでも随分楽になる。イチオシの民間療法だ。注射で抜くより余程的確で安全だ。

炎症は単純な使い過ぎからくるものであれば使い過ぎをなくして鍼治療をしていけば何とかなる。使い過ぎの一番は体重オーバーだ。しかし体重コントロールこそ患者さんにとって一番難しいテーマだ。このおじいさんにとってもこれが一番難しい。まず高齢ではあるが膝を除いては至って健康なので極端に生活習慣を変えたくない。高齢な方のからだは変化を好まない。残念なことにおじいさん健啖で畑仕事と食べることが楽しみなのだ。まあ、やるだけやってみよう。

治療を開始して2ヶ月。そば粉湿布の効果もあって水は抜けたし炎症性のうずく痛みも取れた。しかし歩く時の痛みは相変わらずだ。

そうこれからの問題はおじいさんの体重だが先に述べたように高齢なので生活習慣を変えさせたくない。どうする。

「膝の腫れも熱も取れましたね」
「痛みはどうですか」
「うずきはなくなったばってん歩けば相変わらずギシギシ痛みます」
「そうですね。おじいさんの今の体重だと腫れが引いても熱が治まっても歩けば痛みますね」
「この状態で痛みを軽くするには体重を減らすか筋力を増やすかですがご高齢なので無理が出来ません」

「でも。まあ!100歳になる頃には自然と痩せて来るはずだからそれまで待つのが一番無理のなか方法ですね。」

「その代わりそれまで(100歳)にあと4年ばかりあるから最低今の状態ば維持していかんばです。そしたら何とかなると思いますよ。今すぐに治しきらんで申し訳なかとばってん僕の技術ではこれからが時間がかかると思います。そこに行き着くまで僕も頑張るけんおじいさんも怪我ばせんごと用心してくださいね。」

「100歳ですか!?」

「はい。100歳です」
「直ぐに治しきらんですみません」
「でも体重が今より減ってくれば今の膝の状態でも痛みは軽くなると思います。おじいさんはまだからだが若いから沢山食べられるし食べたものが身になってしまいます。でも100歳くらいになるとさすがにからだが小さくなってくるはずだからそれまでにこれより悪くならなければ今よか痛みは軽くなると思いますよ。そうしたら畑に行くのも今より楽になるはずですよ」

「畑!」

「そう。家族は畑に行かれることを心配されているけれど是非、畑仕事は続けてくださいね。今止めちゃうと筋力ががた落ちするし生活のリズムが変わってしまって良い事無いから。」
「たしかに、転んだりする心配はいっぱいあってリスクはあるけれど安全を願って畑仕事を止めて筋力トレーニングをして筋力維持する方法にはまた違ったリスクがあります。どちらにしてもリスクはあります。それならおじいさんの好きなことをしている方が良いと僕は思っています」

「畑も良かとですか?!」

「はい。その方が良かと思います。でも、ご家族が心配なさっているからくれぐれも怪我のないように用心してくださいね。」
「まあ、いくら用心していても、それでも転ぶときは転ぶとばってんね。畳の縁に引っかかって転ぶこともあるしそのときはその時ね」
「はい。よろしくお願いします!!」

おじいさんの眼はキラキラして声は青年のような響きになった。

少し良いことをしたみたいで僕も心が弾んだ。

冬は鬱が出やすいとTVで言ってたが…

TVのニュースで「冬の季節になると◇やたらと食欲がわく◇やたらと眠くなる◇鬱っぽくなるひとが多くなる」と言っていてその後に何がその理由かを解説するのかと思いきや情報の放り投げでした。

では。代わりに私が勝手な解釈で解説します。冬の三点セットについて

答えは脳の発達の歴史を紐解けば簡単明瞭に出てくる。

人間の脳はある日突然それ以前の旧式の脳を捨てて発現したのではない。旧式の脳(旧皮質)の上に新型(新皮質)が被さるように出来上がったのだ。これは人間が現れるずっと以前からそうであって脳の発達の歴史は神経機能が現れた頃から繰り返し繰り返し旧型の上に新型を被せる形で進化してきた。だから私たちの脳の中に今なお原始的な脳が存在しているわけだ。ではそれらは存在しているだけで機能していないのかといえばちゃんと今でも僅かではあっても機能していると私は思っている。

ではどういう機能が残っているのかと言えばいわゆる「種を絶やさないために働いていた本能」だ。

私たちの祖先がまだ虫けらみたいだったときその種が絶えないために働いた本能、たとえば雨が降って逃げ遅れたら生命の危険にさらされる可能性のあるような脆弱な生物だった頃は本能的に雨を避ける行動は種の保存のためには必須の能力だ。そういう生物の身になって想像すれば天候が崩れる前には「なにか胸騒ぎがする。ここにじっとしておれない。脚が勝手に動いて木によじ登ってしまう~!」そんな能力・本能。

理由なんて判らない判らないけど自然に動かされてしまう。

先のスマトラ沖地震で象が津波が来る遥か前に海岸から山手の方に走り出した現象もこれだ。こういう能力で種の保存にかかわることであれば私たち人間の脳の中にも未だに色々残っているはずだと考えてる。

生命の危機にかかわる自然現象だけではない種の保存と言えば生殖もそうだ。春秋に躁が増えるのは生殖と関係があるのだろう。野生の動物は繁殖期になると寝食を忘れて生殖に励む種も多い。まるで躁病の患者さんが夜中に一睡もせず大声出しているのとよく似ている。動物園のサル山のお猿さんも繁殖期はお尻を真っ赤にして興奮している。おそらく人間も同じように太古には繁殖期が春秋にあったのだろう。

では冬の「食欲・眠気・鬱傾向」は何に由来するのか?

前置きが長くなったが、答えは「冬眠という本能」…「食いだめ」しなきゃひと冬越せないからいつになく食欲が増し、「冬眠する」からには眠くならなきゃならない。「じいーっと巣に篭れる」のは外に出たくないなぁと言う鬱的な気持ちになるからでそうでなければそんなにひと冬じっとしておれない。

人間が人間でなかった頃のご先祖に冬眠をしていた種がいたんですね。その頃は当たり前の自然現象だったのが今では冬眠なんかしなくても種を維持できるから種としてはやめちゃったけど冬になるとその名残が出てしまうひとが結構いるということです。

鬱で悩んでおられる方の中には自分の身体がひとより劣っているとコンプレックスを持つ方もおられますが劣っているのではなくて本来人間誰でもが持っている本能がひとより強く出ているだけのことなんですが。。。

食べたいだけ食べて眠くなった時に寝て動ける時に動いてなんてスタイルで生活できるスローライフの世の中だったらこれらの本能が少々強く出てもなあんにも困らないんですが。。。

注文の多い鍼灸師

鍼灸治療の効果には個人差があります。その理由は一人ひとりの持つ「自動調整力の大きさ」と「自動調整機能の働きの度合い」の差だと思います。

具体的に言えば「自動調整力」が100pointある人より200point持っている人の方が治癒力は有りますし「自動調整力」が200pointの人でも「自動調整機能の働き」が100%機能している人と40%しか機能していない人であれば治癒力に大きな差が出ます。後者は「自動調整力」が100pointの人よりも治癒力が劣るかもしれないのです。

鍼治療の効果に個人差があるのにはこのような理由によることもあります。

さて私が鍼灸師として出来ることは「自動調整機能」が充分に働かず病や怪我を治せないでいる人に鍼灸を施して「自動調整力」を100%引き出すことです。しかし、私は名人ではないので100%以上は私の力では作り出せません。しかし多くの患者さんは「自動調整力」に延び幅を持っておられます。つまり「自動調整力」を現在100pointしか持っていない方でも「生活習慣の改善」「湯液療法」「適度な運動」等々を実践することで「自動調整力」が120pointになったり200pointになったりするのです。その増えた分だけは私が有効に引き出すことが出来るのでその分治療効果が上がります。

しかし「生活習慣…」等々諸々のことは患者さんご自身が主体的に実践していただかないと全く結果を得ることが出来ません。しかし実践したあかつきには必ず何がしかの「自動調整力」の増加をみます。それが判っている私としては「伸び幅」を持つ患者さんにはあれこれ注文が多くなってしまいます。

「さあ!歩きましょう!」「さあ!腹七分ですよ」「さあ!筋力を」・・・です。

以上が私が注文の多い鍼灸師である由来です。

効率ばかり求めていては…

BlogPcskillfull


20年程前の話。
まだその頃は僕も名人になりたくて名人と言われる先生方がたくさんおられる東京の研究団体の勉強会に毎月上京していた。
そこでは一定のスタイルがあって古典理論だがシステマチックで理路整然としていて理屈っぽい僕にはぴったしだった。

最初は。

最初は…だ。

そこでは受講者のスキルを量るのによく治療に掛かっている時間を問われた。
同じ内容の治療をできるだけ短い時間でやり遂げることを求められる。

「時間ばかりかけちゃだめだよ!」
「そんなことしてたら1日に何人もできないでしょ!会長なんか1日80人やってるよ!」

僕は10人ちょっとで精一杯。でも目の前にあることを端折れないからどうしても時間がかかる。端折らずに時間短縮するにはもっと技術を上げなければと本気で思っていた。たしかに講師の先生や先輩にはあっという間に素晴らしい脈状をつくれるひともいる。

脈状というのは東洋医学の重要な診察法のひとつ「脈診」の用語で脈の状態(脈の打ち様のことで何十種類にも分類される)のことだ。病症のある人は脈状が悪い。健康な人は一般的に脈状が良い。だから病症がある人の脈を鍼によって一時的にでも良い脈状にすると自然治癒力が増して快方に向かうという理屈だ。

この考え方自体に間違いはない。

しかしだ。

脈状が良くなったからと言って症状が直ぐ取れるとは限らない。しかし勉強会では症状が取れないのは刺鍼技術の足りなさだと断じられるしこちらもその通りなのだろうと自分の至らなさを悔いる。
後から気づいたのだがこの方法は間違いの少ない方法ではあるが方法論に融通性が乏しくドラマチックな治療のチャンスをみすみす逃すことも多い。長期で継続治療をするのには有効だが今すぐ結果を求られる時にこの方法だけで患者さんを満足させることができる鍼灸師は少ない。
僕もそのひとりで10分もあれば脈状はなんとか整えられるがそれだけで患者さんを満足させきれないし自分もこれで良い治療ができたとは納得できないでいた。納得できていないがそれは自分の技術の無さが故だと思っていたのでそれをなんとかしたくて毎月上京していた。10年通った。

その日もそうだった。カイロプラティックの事故で胸椎を圧迫骨折をしたが医者からもさじを投げられてしまった70歳になる女性の患者さんを四苦八苦して治療していた。名人の〇〇先生ならこんなものものの5分もあれば患者さんをすっきりさせるんだろうか…なんて思いながら40分程かかってやっとその日の治療が終わった。午前の最後の患者さんだったので他に人もなく会計が済んでからも少し世間話をしてにこやかにしてあったのだが、いざ、「では、お大事に」と挨拶をすると患者さんが急に深刻な顔になってモゴモゴし始められた。

なにかこちらがしくじったかな…?! と

「なにか…?」と聞くと

「あの…ちょっと…」

「はい?なにか?」

「あの…」

「はい」

「あの…ちょっと相談というかお尋ねしたいんですが…」

女性の相談はご主人との性交渉の悩みだった。高齢になると分泌液が少なくなって性交痛が起こることがあるがそれが辛いらしい。加えて胸椎が大きく変形しているので交渉中それも辛いらしい。ただ、ご主人が元気なのでなんとかお相手をしないとご機嫌を損ねてしまうので困っているというのだ。
色々な解決法があると思うが性交痛には東洋医学的に判断して「麦門冬湯」をアドバイスしてさしあげて背骨の件は整形外科的に無理のない体位をアドバイスしてさしあげた。
結果を言えばとても旨くいってその後の夫婦生活は順調になったらしくとても喜んでもらえた。

相変わらずマクラが長いがこの時の経験が今の僕の臨床スタイルを決定づけた。

その時、相談を受けてとりあえずアドバイスはしたが患者さんが帰られた後、僕は考え込んでしまった。
当時僕は30代前半だったがまだ結婚していなかった。その僕に70歳とはいえ異性から性の悩みを相談されたのだ。いくら僕が医療従事者とはいえ患者さんの気持ちを考えれば相当の抵抗があったに違いない。その時の思いつきで軽く相談したのではないに違いない。それよりずっと前から今日話そうかいつ相談しようかと悩んであったに違いないが他に人がいたら相談し辛いしそのタイミングに相当苦慮されてはずだ。

あの時は偶々昼休み前で他に誰もいなかったから。それでも、もっと軽い気持ちで相談できたのであればあの日は治療中でも充分相談出来たはずだ。それが帰る間際までできなかった。その気持ちを考えると胸が締め付けられた。

もしも、今日こんな場面にならなかったら…

僕が名人みたいにチョチョチョ~ンと上手に治療をあっという間に終わってしまっていたらこの患者さんはこの悩みを切り出せたろうか…

もし、僕以外でこんな悩みを相談できるところがこの患者さんにあるんだろうか…

あるかもしれない。あるかもしれないけれどそんなに沢山はないだろう。僕にとっては今初めて体験したことだけれど世の中にはこんな風なことは結構あるに違いない。でもそういうことをフォローできているところが他にあるだろうか。

僕が下手くそで時間ばっかりかかっていたおかげで患者さんは切り出せた話しに違いない。
それに気づいてしまった僕はこのことに目がつぶれなくなってしまった。

当時は世の中、効率・効率と効率が良いことが正義のような風潮もどこかあって西洋医学の医療現場にもそれが蔓延していた。所謂、3分間診療なんて言われるような医療の流れから取りこぼされていく患者さんたちがいることへの問題意識はすでに自分の中にあったのだけれどいつのまにか自分自身もその流れに飲み込まれそうになっていたのに気づかされた。

幸い東洋医学は西洋医学的に言えば総合的診療科目なので身体全体いや人間を診る医学だから何の付け足しも要らず今まで通りのことをやっていけば良い。ただ今日のような場合を考えれば10分やそこらで診療を終わっていたらお話にならない。逆に時間をかけて診療しなければいけないんだということに気付いた。
その頃の僕は実際に鍼だけやったとしても30・40分はかかっていたから手を止めてお話をじっくり聞くと1時間も1時間半も診療にかかってしまうようになった。

東京に行くと「君、今どのくらいの時間かかってんの?」と相変わらず聞かれる。
いくらなんでも「1時間から1時間半はかかります」なんて言えないし口ごもってしまう。でもこの新しいスタイルを止める気は全く起こらなかった。
理由は簡単。患者さんの喜ばれる顔。時間をかけた結果得られる評価。凡人の僕でもできることをみつけたから止めるわけにはいかなくなった。

もうひとつ。脈診は不問診断法と言って患者さんからの訴えを聞かなくても患者さんの状態が推察できるところがある。だから脈診ができる鍼灸師には問診を疎かにしてしまう傾向がある。でも、これは大きな間違いだ。たしかに自分でもびっくりするようなことがみえたりもするけれどそれが全てではない。やっぱり問診が一番大切だ。その証拠にこの時僕は患者さんが勇気を振り絞って訴えたことを診療中に脈診では判らなかったわけだから。

当時、時間短縮を目指して切磋琢磨したことは無駄にはなっていない。確かに鍼だけだったら10分もあれば終わってしまえるくらいにはなった。おまけに今は「経穴ゲートスイッチ理論」に支えられているので旨くすると鍼一本で終わってしまうこともある。おかげで今現在は30・40分の診療でもゆっくりお話を聞くことができるようになった。しかし、たまにお話だけが長引いてしまって次の患者さんを少し待たせてしまうこともあるけど皆さん僕の診療スタイルを理解してくれているので助かっている。感謝。

もちろん深刻な話ばかりがあるわけではありませんし「お前と話をしに来たんじゃないさっさと鍼だけやっとりゃ良いんだ!」という方もあるのでそこら辺は臨機応変に対処しています。たまにしかないけれどいつそういう場面になるか判らないので診療スタイルを基本的には変えられません。僕みたいなのがこの世にひとりくらいいても良いんじゃない?って思ってやっています。

いずれ東洋も西洋もなくなる…なくなって欲しい(登る山は同じだから)

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堅い話になりますが…

西洋医学と東洋医学を比べるとその発展の経緯が全く異なります。

西洋医学はその時代時代の科学の最先端を駆使して医療現場にフィードバックしてどんどんミクロ的見識を深めてきました。ついには現代においては分子レベルの域まで達しています。つまり西洋医学は科学的に人体の不思議が解明された分だけ医療現場が発展してきました。その結果いつの間にか科学的証明があるものだけが真実として最重要視され証明のないものにはあまり評価を与えられないという風潮が浸透してしまいました。しかし実際には人体の不思議は科学的にはまだ解らないことの方が多いのです。実はヒトゲノムの解明が始まった近年になってやっとその人体の不思議の解明の入口に立ったばかりということになります。誤解を恐れずに言えばこれからがとても楽しみな発展途上の医療システムです。

逆に東洋医学は初期の頃(歴史に残らないほど大昔)は解剖も行われていたようですがその後東洋的な価値観から公には解剖的考察はされなくなり西洋医学と違った視点で人体観察をしてきました。その観察は主観的で直感的ではありますが二千年に及ぶ追試によって理論もシステムも淘汰され洗練されてきました。いわゆる経験医学と呼ばれるシステムです。中国に二千年以上前に始まり漢の時代には理論のほとんどが編纂され明の時代にほぼ完成した医学です。しかしシステムはほぼ完成していますが科学的根拠に乏しいので一般的には西洋医学より遅れているように見られがちでした。

しかしよく考えると現代の科学力をもってしてもまだ東洋医学を証明できるところまで来ていないというのが本当のところです。東洋医学が証明を待たずに人体の不思議を先に先にと追い求めて行った結果でもあります。つまり東洋医学は事実の積み重ねによって淘汰されてきているのでそういう意味で西洋医学よりも早くシステムはほぼ完成していると言えるのです。これからの科学の進展によって東洋医学の理論やシステムがどのように評価され修正されていくかは東洋医学者の一人として楽しみです。

いずれ人体の不思議は西洋医学的にも東洋医学的にも科学的に全てが明らかになっていくでしょう。そしてその時は西洋も東洋も区別のない医学に到達し素晴らしい医療システムが出来上がるのだろうと期待しています。

しかしただひとつ気になることがあります。現在、東洋医学の研究者の中には東洋医学の世界観を充分理解しないまま研究をしておられる方々もあります。勿論科学的検証をするには新しい見方から入っていかなければ見えないものもあると思います。しかしそれだけではどの方向性をもって科学的実験検証をするべきかは見えてこないのではないかと危惧しています。何故鍼が効くのかはそれが二千年以上も淘汰されずに残るに絶対必要だったはずの理論とシステムを鍼という道具と共に検証していくべきだと思っています。

つまり東洋医学が東洋医学であるのは鍼という道具や生薬を使うから東洋医学ではないと私は思っています。東洋医学というシステムは東洋医学の世界観と理論があって初めて成立するのであってその理論の整合性が科学的にどう評価されるかが決定付けられるまでは世界観・理論・システムともに後世に伝えていく責任があると思います。

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