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鍼灸ってどんなものに効くのかと問われればまずその効果として挙げるとしたら「自然治癒力を高める作用」だと思う。自然治癒力は正確にはホメオスタシス(生体恒常性)と言うべきか。
ところで一般にこれらの言葉から連想するのは「自力で元のからだに戻る力」だろう。それが叶わないときに患者さんは治療を求めることになる。

さて治療というと患者さんの立場から言えば元の健康な状態に戻すことが一番の目的だと思うのは極自然なことだが現実はそうならない場合も多い。臨床の現場では完全に元の状態に戻らないものも多いのだ。特に関節など運動器疾患にはその傾向が強い。足関節捻挫の場合伸びた腱は一般的に伸びたままにするしかないし多少断裂していてもそのままだ。それを手術によって整形しようとすれば手術によって傷つけた部分のほうが本来の怪我よりも大きくなってしまう。老化現象から起こってくるものもそうだ。

個人差はあるが元々人間は20歳辺りから成長が止まり後は壊れる一方なのでそれは特別なことではない。若い頃は徐々に緩慢に壊れていっているのに気付かないだけだ。80歳になるまで自分の衰えを自覚しないような人も中にはいる。だが体は確実に壊れつつある。決して元の様にはならない転機が繰り返しやってくる。だからといって悲観的になっているのではない。医療によって患者さんの人生をより充実したものにするお手伝いを成功させるにはこの現実を受け入れてもらうことがとても大切なのでこの話なくして医療は語れないからだ。

ところで自分ではホメオスタシスを「自動調整機能」と訳すべきだと思っている。治癒力ではなく調整力だ。元の姿に戻すのではなく今一番良い姿に調整する能力だ。だから患者さんの望んでいることと違ってくることも多い。
しかしこの「自動調整能力」は本当にすごい。からだの色々な状況に応じて最適の環境を作り出すことができる仕組みだ。しかし最適な環境が本人にとって望ましい状態かといえばそんなことばかりではない。
例えば使い過ぎた関節が傷んで痛みが生じることがある。場合によっては腫れて関節が曲がらなくなる。これは本人とっては苦痛で不都合であるが関節の症状を自然に取り除いていくためにはとても大事な体の反応だ。からだは本人の都合なんか考慮してくれないがからだ全体から言えばどんな場合でも理に適った反応を示しているはずだ。

膝関節を傷めると水が溜まって関節を曲げにくくなることがある。これは患者さんからすれば不都合だが傷んだ関節からすれば必然の場合が多い。元々関節には滑液包と言う水枕状のものがあって関節をつくっている骨同士がゴツゴツぶつからないようクッションの役割を果たしている。膝関節に水が溜まって腫れるというのはこの滑液包の中の水が増えてパンパンになった状態だ。パンパンに腫れると曲げにくいし無理に曲げようとすると滑液包内の圧力が増すので痛みが増したりする。こうなるとほとんどの人は整形外科を受診して滑液を抜いてもらって消炎剤などの薬材を注入する処置をしてもらうことになる。旨くすればそれで治ってしまうこともある。

しかし、なぜこういう状況に陥ったか、何故からだがそのように反応したかを考えてみることを忘れてはいないだろうか。からだはその人の人生なんか知ったことではない今傷んだ膝をどうやって治すかそれだけがテーマだ。医療のなかった太古の昔から生物のこのメカニズムは存在していて今も変わっていない。つまり傷んだ膝を自然に治すには動かしてはならないから痛んだり腫れたりして動かせなくしているだけなのだ。水が溜まるのは傷んだところに骨などが触らないように引き離しているのであって整形外科的に言えばギブスの役目を果たしているのだ。自然のギブスだ。痛みは「ご用心を!」「動かさないで!」というからだからの声無きサインでもあり動きを制限する有効な手段でもある。これらは決して本人を無意味に苦しめるためにあるのではない。より良い状況を自分で作り出すためにある「自動調整機能」のひとつだ。
自分の経験でいえばからだが持っている「自動調整機能」を最大限に活かして邪魔をしなければ症状を軽くすることができるし最悪の結果(人工関節)を招かないで済むと思っている。

しかし、この声を無視して自分の都合の良いように(膝に溜まった水を抜いたり、痛み止めで痛みを感じなくしたりする)するといずれいつかは必ずしっぺ返しがやってくる。いつかは判らない。直ぐにおとずれるかもしれないし10年後かもしれないがいつかはやってくる。
動かしてはならないのに水を抜いたり痛み止めばかりを使っているとからだは「こんなに止めてくれといっていても聞いてくれないならもっと大きな声で叫ばなければ…」と更に強い痛みを発して訴えてくる「動かさないで!」と。そしてそれでも聞いてもらえなければ「ここに関節があるから傷つくのだ…」とその複数の骨でできている関節の機能自体を無くすように動き始める。つまりそれぞれの骨同士がくっついてひとつに固まって動かなくしようと骨が変形し始め骨棘をつくり始める。骨棘ができると更に炎症や痛みはひどくなる。そして最初の内に膝の声無き声に耳を傾けなかった結果は最悪の場合人工関節だ。

もしこういう結末を迎えたくなかったら早い内から声無き声に耳を傾けてそれに応えていかなければならない。それは臨床家の仕事ではなく患者さん本人がすべきことの方が多い。あくまでも主役は患者さん本人であって臨床家は黒子だ。主役が旨く演じないと黒子も役に立たない。具体的にいうと主役が旨く立ち回るためには今自分がおかれている状況を理解して受け入れなければならない。動かしてならないのであれば動かしたくても動かしてはならない。曲げてはならないのであればそうしてはならない。しかしどんな時動かしてならないか曲げてはならないかは患者さんに判るはずもないからそこを黒子である臨床家が判断して適切にアドバイスしていかなければならない。それが旨くかみ合ったときは「自動調節機能」が有効に働けるので最悪の結果をみなくて済むはずだ。

鍼灸は多くの患者さんが充分活用できていないこの「自動調整機能」を最大限引き出すことができる医療手段だと思っている。鍼灸の効果に個人差があるのは鍼灸師の技量の差にも因るが「自動調整機能」に個人差があることにも因る。活用できていない割合が多ければ鍼灸の効果も大きくなると期待できる。