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臨床経絡

「経穴ゲートスイッチ理論」に基づいた臨床現場で役立つ経絡治療の紹介

沢山の東洋医学の理論があり、それを学校で学びますがどのように運用するかまでは教えてくれません。「経穴ゲートスイッチ理論」を理解すれば知識が臨床に活かせるようになります。

ここでは「入門」「症例集」「臨床ひろば」「異論な医論」の4つのテーマに分けて紹介しています。

異論な医論

耳鳴りのはなし

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まずはふたつのお話から

  • 秋の夜長。あなたは静かな部屋で親しい友人と二人きりで楽しく会話をしています。するとあなたの友人が「鈴虫が鳴いてるね」と言いました。鈴虫の音に気づいていなかったあなたはそれで初めて気づいてそれ以後はふたりは鈴虫の音を聞きながら楽しく談話を続けました。
  • 朝、恋人が「昨日は目覚まし時計の時を刻む音が気になって中々寝付けなかったわ・・・」と言いました。そばで寝ていた彼はそんなことも知らずぐっすり寝ていたみたいです。

このふたつのお話はどちらも脳の共通する機能が働いて起こった現象です。起源を辿ると人間がもっと野生であった頃に由来します。

たとえば向こうの草むらから「カサッ」と些細な音がしたとします。その時敵か味方か見分けるために他の音が聞こえなくなるくらい集中してその音だけが特定されて大きく聞こえてくる機能と同じです。つまり音を見分けて目的の音だけをクローズアップできる機能です。

それが心地よいことに繋がったのが「鈴虫の音」、不快感となったのが「時計の音」です。この機能は今も多くの動物には生命(種)を維持するためになくてはならない機能として働いています。昔は人間もそうだったのでしょうが今はそういう生命の危機管理に使われることは一般の環境の人間ではまずありませんね。

ところでこの機能に一番悩まされているのは「耳鳴り」のある方たちです。

体の中は音だらけです。筋肉のきしむ音や関節の音・心臓の鼓動・血液の流れる音・呼吸音といった実際に音として捉えられるものから神経伝達の電気的雑音まで様々です。一般的な耳鳴りも元々あった雑音が加齢などによって少しボリュームアップしたのを運悪く気づいてしまった状態です。

脳の聴覚の領域にはこういう情報がいくつも入ってきているのですが普通は必要ない情報だとその音をカットしてしまいます。ところがそれが必要な情報だと判断するとその音に「ロックオン」してクローズアップしてしまいます。最初の「鈴虫の音」のときははじめ必要ない情報としてカットされていたのが友人の一言で必要な情報として置き換えられたので以後聞こえるようになったのです。「時計の音」はたまたま意識してしまってその音を脳が「ロックオン」してしまったので音が大きくクローズアップしてしまったのです。耳鳴りはこの後者になります。気にしなければカットされるはずの音が忌み嫌えば嫌うほど「ロックオン」を解除できなくなってしまうのです。

耳鳴りが気になりだしたら基礎疾患の有無を確かめる必要はありますが特に異常がない場合は「対峙せず戦わず」がコツです。気にしなければ必要ない情報として「カット」されるはずです。

*)治療をして消えてしまう耳鳴りもありますから最初から諦める必要はありません。

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血圧のはなし

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「自動調整機能」についてもう少し。からだには自動的に今一番適した状態を作り出す能力があり命がある限りそれは機能し続けている。からだに起こる変化はすべてその機能に拠ると言っても言い過ぎではない。「自動調整機能」が働くと当人が不愉快だろうが苦痛だろうがからだ全体からすればそれが妥当だとなればそのように変化する。

血圧だってそうだ。血圧が上がるのは上がる必要があるから上がるのだ。つまり正常な状態で血圧が上がるということは単純に考えれば二通りしかない。ひとつは素早く力強く身体を動かす必要に迫られたとき、もうひとつはからだのどこかで今の血圧のままだと組織や細胞が維持できないときのふたつだ。

前者は僕ら人間がまだ人間らしくなかった頃から種を維持するために絶対必要だった機能のひとつに由来する。たとえば人間の祖先がお猿さんの仲間だった頃木陰に落ちていた木の実を拾って食べていたとしよう。もしその時近くの茂みで「カサッ」っと何かが動く気配がしたとしよう。その気配に気付いたご先祖様は「小鹿か!?ライオンか!?」と緊張する。この時血圧は一挙にググッグーンと上昇する。これはもし気配の主がライオンであればそう判断したら瞬時に走り出して逃げなければならない。そのためには血圧を上昇させて瞬間的に最大筋力を引き出して一刻も早く木に登らなければならない。したがって手や足には汗が出る。これはパニックの時に側の木に逃げ登るときに手足が滑らないようにする為には手足が湿気っていた方が万全だからだ。つまり外敵から身を守らなければならないときは緊張し動悸が打ち血圧が上がり、耳はちょっとの異音でも聞き逃さないようになる。(耳の話は後述)

後者を具体的に分かり易い話に喩えると水道事業がよく似ている。私の幼い頃住んでいた町は坂の多い町で山のスロープに沿って段々に家が立ち並んでいて高台の方は夕食の準備の時間帯になると極端に水道の出が悪くなっていた。当然のごとく高台に住む人たちからは水道局にクレームがいく。その時に水道局がすることは本管の水圧を上げることなのだが上げ過ぎると下のほうの家では少しコックを開いただけでも水が激しく出て使いにくい。おまけに本管の漏水や破裂も増えた。現在は坂の途中で水圧を調整できるようにしてあるので昔のようにはないが人間の血液循環はこの昔の水道によく似ていると思う。人間のからだで言えば水道事業は循環器系にあたる。各家庭は組織や細胞にあたる。血液(水)の供給が足りなければ血圧(水圧)を上げなければ細胞が衰えたり壊死したりする。しかし水道と違うのは多くの組織や細胞は複数の血管によって養われているので一本の動脈の循環が阻害されてもまず心配ない。しかし脳神経と心筋だけはただひとつの血管によって養われているのでその養っている動脈の循環が悪くなると必ず組織や細胞は影響される。脳細胞と心筋の状態はどちらも直接生命に影響するのでそこの循環が悪くなれば必ず血圧に影響してくる。
しかしちょっと血圧が上がったからといって慌てることはない。重量挙げの選手なんか競技では400mHg 以上に跳ね上がるが何ともない。血管は筋肉でできているので毎日鍛えていくと400mHg以上でも破けたりしないのだ。普通に適度な運動をしていてもそれは同じ。破けなければ何も起こらない。変に人為的に血圧を下げて流れにくくする方が余程怖い。適当な運動・バランスの取れた食事・精神の安定これが揃っていれば少し高くても心配ない。

患者さんは医師から薬を処方されて効能を説明されるとついその内容を自分の都合の良いように受け止めてしまう。

血圧を改善する薬と言われれば本当にそうなると期待する。血圧が下がれば自分の体の状態はより良い状態になっていると思い込んでしまう。医師でも本気でそう思っている人もいるにはいるが患者さんをよく観察している医師なら自分自身が高血圧症になった時に降圧剤に直ぐには飛びつかないはずだ。運動療法と生活習慣の改善に努めようとするだろう。その理由が何であるにしろ降圧剤を服用するよりもその方がより良い状態を保てると知っているからに違いない。

具体的な話。たとえば脳血管の狭くなったところを広げる作用と聞けば普通ひとはピンポイントで病的になった所だけに効くと思いがちだが実は違う。効き目は液性である。池に薬を投げ込むようなものだ。血管ならどこにだって同じ薬理効果を示す。
血流量が多ければ作用は大きくなるし健常であればその反応も鋭いはず。病的であればその逆だろう。その結果起こる問題は実は怖い。健常な血管がより拡張し更に病的な血管との直径の差が拡がれば結果として物理的に病的な血管に流れ込む血液は益々少なくなる。本来の目的とは真逆のことが起こってしまうことになる。
個人差はあるがこうなった人は悲惨。血流改善のつもりが服薬すればする程に脳虚血状態に陥る。

10年ほど前に大手の製薬会社が出していた脳循環改善剤は大ヒットしてバンバン患者に処方されていたが数年して何故か製造中止になった。原因は精査しなかったみたいだが噂ではこの薬を服用した患者が多数認知症や脳梗塞になったらしい。上の説明どおりのことが起こっていたのかも知れない。 薬の効能を鵜呑みにするのは怖い。

HPBP


骨は石ころじゃない・・・変形しているからと言って必ず痛むとは限らない

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もし、ある日あなたの膝が突然腫れて痛み出したとします。考えてみれば少し前からいくらか違和感はあった膝です。こんな時あなたならどうします。

まず多くの方は「整形外科」を受診されるでしょう。それは間違いではありません。しかし受診時のお医者さんとの会話の中にお互い誤解が生じやすいことがあります。気をつけてくださいね。

まず患者さんの立場で考えればほとんどの患者さんは多くの怪我は治療すれば元の状態に戻ると思っておられます。だからお医者さんもそのつもりで診てくれていると信じて疑いません。レントゲンで「ここが原因です」と指差されれば元に戻すべきところが特定できたからこれで治す目処が立ったはずだと。

  • しかし多くの場合膝に限らず一度傷害を受けた関節は完全には元の状態には戻りません。しかし戻らなくても症状が出ない状態まではもっていくことはできます。例えば小学生の時に捻挫をしたとします。捻挫をすれば靱帯の一部が切れたり伸びてしまったりしています。これはもう元には戻りません。それでも治療を適切にすれば痛みや腫れもなくなって一見元に戻ったかのようになり時間が経てば自分が小学生の時捻挫をしたことさえ忘れてしまうようになることだってあります。 そして・・・中年・老年を迎えて筋力が低下したり体重が増加したりして足首が痛くなったりした時その由来が小学生のときの怪我であるとは思いもよらないでしょう。実は小学生のとき怪我をした後も足首の状態は決して健常ではなかったけれども症状が出なかったので気にも留めていなかったということなのですが。
  • ところで怪我をしたところは元の状態には戻すことは難しいですが症状の出ない状態までにすることは可能です。ただしそこに掛けることが許される負荷は健常な状態よりも小さくなります。要するに無理ができなくなります。負荷の掛けられる範囲を増やすには膝の場合だと筋力アップや体重コントロールが役立ちます。

はなしを戻します。ではお医者さんの立場から考えればどうでしょう。 臨床経験が豊富であればあるほど上記のことはお医者さんも承知の上です。でもレントゲンに写っている損傷部位を指差してあなたに説明されたとしても長々と上のような話はされないことがほとんどです。それどころか関節の変形の状態によってはこれから先患者さんの膝がどのような経緯をたどるかということをデータとして持ってあるので「先は軟骨摘出手術その次は人工関節・・・」などと考えておられます。 最初から患者さんにストレートに伝えるお医者さんもいれば直ぐにはそこまで言われないお医者さんもおられます。しかしいずれにしても考えておられることはほぼ一緒です。すべてのお医者さんがそうだとは言いませんが多くのお医者さんは患者さんが元に戻るものと思っている状況でもお医者さん自身は「先は手術だ」と思っていることは多いのです。

  • では、変形してしまった関節は最後は手術をしなければどうしようもないのでしょうか?たしかに、変形した関節は原則元に戻ることはありません。そして変形しているから痛いのだと皆さんは思い込んであります。だから変形が元通りにならないのだったら痛みを取り除くには削り取るか人工関節にするしかないと思い込んであります。患者さんばかりでなく多くのお医者さんもです。
  • でも、私はそうは思っていません。条件さえ揃えば変形したままの状態でも痛みのない、仮に痛んだとしても許せる範囲の痛みとして付き合える落しどころはあると思っています。
  • 何故、私が変形したままでも痛みのない状態が作り出せると思っているかといえば、実際にそういう人達が患者さんの中に沢山おられるのを知っているからです。具体的に言えば私の鍼治療では膝が悪いからと言って膝だけ診るのではありません。逆も然りで膝が悪くなくても診察や治療の必然として膝を診ることは毎回のことです。患者さんの中にはかなり変形の進んだ膝をもつ方もおられますが「痛くないですか?」と聞くと「痛くない」と答える方も多いのです。だから私は仮に関節に変形があっても痛みを感じない人がかなりおられることを日常的に知っています。しかし整形外科のお医者さんは専門的に特化した診療科目なので膝を診るのは膝痛がある患者さんの膝だけです。膝痛のある膝だけ診ていけば膝に変形がある例が圧倒的に多いのは当たり前のことです。だからお医者さんが「変形があるから痛む」と思ってしまわれるのも無理もないはなしです。でも、実際には違います。変形があっても痛んだことない方や一時痛んでいたが今は痛まないという方もかなりの率でおられるのです。このことから判るのは

 膝(関節)の痛みは変形があっても必ずしも痛むとは限らないが変形のある膝(関節)は痛みを発生しやすい。

実は人間のからだ(骨)は石ころではないので変形(変化)するのが当たり前です。変形と言うと聞こえが悪いですがこれも「自動調整機能」のひとつです。変形するにも色々あって「自動調整機能」が正常に働けば元には戻れないが今の状態で一番良い状態を作るために変形していくのです。これをうまく導き出せば変形していても痛みのない状態にもっていくことが可能です。うまくすれば手術を先延ばしにできたりしなくて済むようになるかもしれません。

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白内障の手術のこと

白内障は多くは加齢によってレンズが濁ってきて次第にものが見えにくくなる眼の病気だがいよいよとなれば手術をすれば視力が戻ると言うのは皆さんご存知のことだと思います。
しかし手術をして改善するのは少なくとも手術直前の状態よりも改善するだけだと言うことをよく理解できていない方が多いのも事実です。

実際には原則として視力は戻りません。改善するのは明るく見えるようになるだけです。

手術は濁ったレンズを取り除いてプラスティックのレンズと取り替える手術ですから例えて言うなら「一眼レフ」の高級な多焦点カメラから多層レンズを取り外して「使い捨てカメラ」の安物の単一焦点の一枚レンズに取り替えるようなものです。前者は幅広い焦点を持ちますが後者は焦点は唯一箇所しかありません。だから前者は遠くも近くもそれぞれその距離にピントを合わせてシャープな映像を撮ることが出来ます。後者は一定の距離以外はカッチリしたピントの合った写真は撮れません。

人間の眼のレンズの性能は前者の高級レンズに似ていますが眼内レンズは後者の一枚レンズにあたります。だからいくら眼を凝らしても眼内レンズでは唯一点を除いてピントを合わせることは出来ません。しかしいくら高級でもレンズが濁っては使い物にはならないので取り替えなければならなくなるのと同じで白内障が進んでものが見えにくくなれば手術をしなければならなくなるわけです。ここで理想は健康な時と同じような性能のレンズがあれば良いのですが現代の科学技術ではまだそこまでの眼内レンズは開発(開発中)されていませんのでピントを合わせられなくなることには眼をつぶるしかないのです。

ところが白内障の手術をされる方には「手術をするのだから良くなって当たり前」と考えておられる方も多いのです。ひとつには手術をなさった方の中に「手術をしたおかげでものすごくよく見えるようになった!良かったよ!あなたも早く手術なさい」と声を大きくして薦められる方がおられるからだと思います。しかし反対に「手術をしなければ良かった…」と悔やまれる方も沢山おられます。
こんな時今から手術を予定している方は「ひとはどうあれ自分はうまくいく」と思っておられることが多いものです。TVとか新聞で災害が報道されていても自分のこととして中々実感できなくて根拠もないのに心のどこかに「自分はそうならないだろう」と思いがちなのと同じです。

まあ、思っているから手術もするのですが。

手術はほとんどの場合無事成功に終わるのですが仮に同じ手術結果であっても評価は様々です。
それには眼の問題ではなくそれぞれのものの見方の違いによることが多いと思います。というのは実際に眼から脳に送られる視覚情報は同じでも人によってその情報の処理や評価がかなり違うのがその主な原因です。

例えばあなたがバス停で23番経路のバスが来るのを待っていたとします。JR駅に行くバスです。
向こうからバスがやってきました。バスが近づいてきてバスの経路を示す標示窓の数字がだんだん大きくなって見えてきました。

さて。あなたはどの時点でその数字が見えたと判断しますか?

僕はうすぼんやりと数字が見えてきてそれが「23」と確信できた時にその情報に対して求めていたものは得られたと感じますから最後まではっきりと見えることがなくてもそれほどはっきり見えないことにストレスを感じることはありません。

この例と同じようにものを見るときに必要な情報が得られていればストレスを感じない人は「白内障の手術をしたおかげで良く見えるようになった」と素直に喜べるはずです。

何故なら…

白内障の手術で唯一手術直前より改善するのは明るく見えることだけです。近視の人ならよくわかると思いますが見え方はうすぼんやりでも周りが明るいとそれが何なのか、例えば「23」なのか「28」なのかの判断はつきやすくなります。それと同じで唯明るくなるだけですがピントは合っていなくても術後見えやすくなったと素直に喜べるのです。

ところがはっきりと輪郭までクリアに見えないと良く見えたとは思えない人は「23」というのは判断できても最後まで焦点は合わないのではっきりとクリアに見えないことが耐え難いストレスとして感じてしまうのです。
「「23」だというのは判ります。でもはっきり見えないんです!」となります。これが中々許せないみたいです。僕の患者さんで手術前にこの話(術前より良くはならない。明るく見えるようになるだけ)をさんざん聞かされていたのですが術後に「古賀先生が言わした通りやった!確かにその通りやったばってん!許せん!」と言って自分の術後の結果を受け入れることができず1年以上精神的に苦しまれた方もあります。生活に何の障りもないのですが結果は期待はずれだったわけです。

何故こんなに外見から見たらどちらの手術も成功なのに評価に関してとても個人差が大きいかというと。
脳の情報処理のあり方にその原因があります。脳は外界から入ってくる情報を脳の都合で勝手に書き換えたりして人間に見せています。それは元々種を維持するために絶対必要な機能だったのですが時としてその機能が当事者の人間にとって悩みの種になることがあるのです。以前書きました「耳鳴りのはなし」もこれにあたります。

実は人間の眼から得られる視覚情報は私達が見ていると思っている映像に数%しか影響していないことが判っています。数十%ではなく数%です。例えばほとんどの人がこの世の中はフルカラーで見えていると思っていますが視神経の分布から考えると視野の中心以外はモノクロ映像でしか見えてないはずなのです。ところが眼から脳に送られる情報はほとんどがモノクロのはずなのに自分達はフルカラーの世界を見ているのです。これは脳の持つ特殊な能力で無いものをあたかも有るようにして情報に肉付けする能力のお陰です。フルカラーで見えているのは視野の中心部のわずかな範囲なのですがそのつながりから脳はモノクロ映像に色付けをして私たちに見せていると言われています。

逆に脳は必要ない情報はカットしてしまうこともできます。

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これは眼底の写真で瞳孔を開いて外から光をあてて観察します。眼底の動脈は体の中で唯一直接見ることのできる動脈です。眼底動脈を観察することで体内の動脈の状態を予測することができます。特に脳内の動脈とは構造がそっくりなので脳動脈硬化症の診断に以前は良く使われていました(現在はCTやMRAなどで診断することが一般的です)。
眼底

上の図は眼底動脈と網膜(視神経)の位置関係を模式的に著わしたものです。この図で判るように眼底動脈は視神経の前に位置するので普通に考えれば自分の眼の前に物があるのと同じ位置関係なんです。

さて「あなたはあなたの眼底動脈が見えますか?」

見えませんよね。

実際には脳に視覚情報として上がっていくときには眼底動脈の存在はちゃんと伝えられていると言われています。しかしこの情報は人間にとって絶対不可欠な情報ではなく情報分析を必要としない情報なので脳が勝手に映像からその部分を削除して他の部分と違和感がないように映像をつないでいるのです。
飛蚊症で最初目の前にちらついていた黒い影がいつの間にか気にならなくなるのも同じメカニズムです。

またまた、前置きが長くなりましたが白内障の術後の評価もこの脳の仕事ぶりによって大きく個人差が出ます。
つまり大してシャープに見えていなくても必要な情報が得られれば事足りるという性格の方だと「23」だと判断した途端頭の中でははっきりと「23」が見えているようになります。逆に必要な情報はバスの経路の番号であるにもかかわらずその見え方までにもこだわる人にとってはシャープに見えていない事実が受け入れ難しとなります。たしかにはっきり見えていないのが理屈から言えば正しいので手術をして良く見えるようになるはずがないのに「良く見えるようになった!」と喜んでいる人の方が勘違いしているのだけれど脳の持っている特殊な能力によって自分を救っているのも事実です。

さて、あなたのものの見方はどちらでしょうか?

百歳になったら

BlogPc100


変形性膝関節症の96歳になるおじいさん。両膝が歩く時痛くて辛いということで受診された。症状を聞くと歩く時関節がきしんで一歩一歩に痛む、最近は黙っていてもうずくように痛む。それ以外は食欲もあるし特に気になることはないらしい。問診していてとても96歳とは思えない。肌艶もいいしやや太り気味だ。76歳と言っても通る。
しかし、診ると両方の膝はかなり変形していてO脚が顕著だ。右膝は炎症性の熱感もあり腫れている。滑液包に水も溜まっている。左膝も水は溜まっていないが同様に変形がある。なかなかキビシイ状況で到底完全治癒は望めない。もちろんご本人もそれは分かってあってそこまでは望んでおられない。「手術は望んでいないし痛みがもう少し軽くなって楽に歩けたらそれで良い」と言われる。
付き添ってきた家族に聞くと膝以外は至って健康で今でも畑仕事をしているという。家族としては危ないので畑に行くのを止めてもらいたいのだが本人が言うことを聞いてくれないらしい。

「畑仕事さすとですか~!?」
「はい。鍬も使います」
「え~!耕すんですか?膝は痛くなかとですか?」
「はあ。痛いのは歩く時だけ。それがこの頃は黙っていても痛むようになってきました。何とかならんでしょうか・・・」

状況はなかなかキビシイが僕は諦めの悪い男で患者さんが諦めない限りこちらから諦めることをできない。
出来ない理由は性分でもあるのだが今まで「駄目かも・・・」と思っていた症例が驚くような良い結果を出すことがあるのを何度か経験しているからだ。

「何度か」だ「何度も」ではない。

おまけに自分が治したと言う実感も無い。「凄い生命力だなあ!」とか「ついてたなあ・・・」とか患者さん頼りだ。それでもそこに僕も関わっていて何らかのお手伝いは出来たという気持ちはある。だから簡単にはこちらから諦める気にならない。とにかくやるだけのことはやってみたい。

まず、関節に溜まった水だがこれは「そば粉湿布」が一番。からだに起こる症状は特別な場合を除いて体を守るために必要な現象だ。水が溜まるのもそう。本人は腫れて痛んだり曲げにくかったりとつらい事ばかりだが滑液包にいつもより水が溜まって関節の骨同士がぶつかり合ってこれ以上傷つけ合わないように引き離してクッションの役割をしたりギブスの役割をしたりしている。だから原則として水は抜かない方が良い。しかし理屈はそうだが時に過剰に水が溜まることがある。こんな時そば粉湿布をすると必要充分な水を残して余分な水は抜けてくれるからそれだけでも随分楽になる。イチオシの民間療法だ。注射で抜くより余程的確で安全だ。

炎症は単純な使い過ぎからくるものであれば使い過ぎをなくして鍼治療をしていけば何とかなる。使い過ぎの一番は体重オーバーだ。しかし体重コントロールこそ患者さんにとって一番難しいテーマだ。このおじいさんにとってもこれが一番難しい。まず高齢ではあるが膝を除いては至って健康なので極端に生活習慣を変えたくない。高齢な方のからだは変化を好まない。残念なことにおじいさん健啖で畑仕事と食べることが楽しみなのだ。まあ、やるだけやってみよう。

治療を開始して2ヶ月。そば粉湿布の効果もあって水は抜けたし炎症性のうずく痛みも取れた。しかし歩く時の痛みは相変わらずだ。

そうこれからの問題はおじいさんの体重だが先に述べたように高齢なので生活習慣を変えさせたくない。どうする。

「膝の腫れも熱も取れましたね」
「痛みはどうですか」
「うずきはなくなったばってん歩けば相変わらずギシギシ痛みます」
「そうですね。おじいさんの今の体重だと腫れが引いても熱が治まっても歩けば痛みますね」
「この状態で痛みを軽くするには体重を減らすか筋力を増やすかですがご高齢なので無理が出来ません」

「でも。まあ!100歳になる頃には自然と痩せて来るはずだからそれまで待つのが一番無理のなか方法ですね。」

「その代わりそれまで(100歳)にあと4年ばかりあるから最低今の状態ば維持していかんばです。そしたら何とかなると思いますよ。今すぐに治しきらんで申し訳なかとばってん僕の技術ではこれからが時間がかかると思います。そこに行き着くまで僕も頑張るけんおじいさんも怪我ばせんごと用心してくださいね。」

「100歳ですか!?」

「はい。100歳です」
「直ぐに治しきらんですみません」
「でも体重が今より減ってくれば今の膝の状態でも痛みは軽くなると思います。おじいさんはまだからだが若いから沢山食べられるし食べたものが身になってしまいます。でも100歳くらいになるとさすがにからだが小さくなってくるはずだからそれまでにこれより悪くならなければ今よか痛みは軽くなると思いますよ。そうしたら畑に行くのも今より楽になるはずですよ」

「畑!」

「そう。家族は畑に行かれることを心配されているけれど是非、畑仕事は続けてくださいね。今止めちゃうと筋力ががた落ちするし生活のリズムが変わってしまって良い事無いから。」
「たしかに、転んだりする心配はいっぱいあってリスクはあるけれど安全を願って畑仕事を止めて筋力トレーニングをして筋力維持する方法にはまた違ったリスクがあります。どちらにしてもリスクはあります。それならおじいさんの好きなことをしている方が良いと僕は思っています」

「畑も良かとですか?!」

「はい。その方が良かと思います。でも、ご家族が心配なさっているからくれぐれも怪我のないように用心してくださいね。」
「まあ、いくら用心していても、それでも転ぶときは転ぶとばってんね。畳の縁に引っかかって転ぶこともあるしそのときはその時ね」
「はい。よろしくお願いします!!」

おじいさんの眼はキラキラして声は青年のような響きになった。

少し良いことをしたみたいで僕も心が弾んだ。
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