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臨床経絡

「経穴ゲートスイッチ理論」に基づいた臨床現場で役立つ経絡治療の紹介

沢山の東洋医学の理論があり、それを学校で学びますがどのように運用するかまでは教えてくれません。「経穴ゲートスイッチ理論」を理解すれば知識が臨床に活かせるようになります。

ここでは「入門」「症例集」「臨床ひろば」「異論な医論」の4つのテーマに分けて紹介しています。

異論な医論

白内障の手術のこと

白内障は多くは加齢によってレンズが濁ってきて次第にものが見えにくくなる眼の病気だがいよいよとなれば手術をすれば視力が戻ると言うのは皆さんご存知のことだと思います。
しかし手術をして改善するのは少なくとも手術直前の状態よりも改善するだけだと言うことをよく理解できていない方が多いのも事実です。

実際には原則として視力は戻りません。改善するのは明るく見えるようになるだけです。

手術は濁ったレンズを取り除いてプラスティックのレンズと取り替える手術ですから例えて言うなら「一眼レフ」の高級な多焦点カメラから多層レンズを取り外して「使い捨てカメラ」の安物の単一焦点の一枚レンズに取り替えるようなものです。前者は幅広い焦点を持ちますが後者は焦点は唯一箇所しかありません。だから前者は遠くも近くもそれぞれその距離にピントを合わせてシャープな映像を撮ることが出来ます。後者は一定の距離以外はカッチリしたピントの合った写真は撮れません。

人間の眼のレンズの性能は前者の高級レンズに似ていますが眼内レンズは後者の一枚レンズにあたります。だからいくら眼を凝らしても眼内レンズでは唯一点を除いてピントを合わせることは出来ません。しかしいくら高級でもレンズが濁っては使い物にはならないので取り替えなければならなくなるのと同じで白内障が進んでものが見えにくくなれば手術をしなければならなくなるわけです。ここで理想は健康な時と同じような性能のレンズがあれば良いのですが現代の科学技術ではまだそこまでの眼内レンズは開発(開発中)されていませんのでピントを合わせられなくなることには眼をつぶるしかないのです。

ところが白内障の手術をされる方には「手術をするのだから良くなって当たり前」と考えておられる方も多いのです。ひとつには手術をなさった方の中に「手術をしたおかげでものすごくよく見えるようになった!良かったよ!あなたも早く手術なさい」と声を大きくして薦められる方がおられるからだと思います。しかし反対に「手術をしなければ良かった…」と悔やまれる方も沢山おられます。
こんな時今から手術を予定している方は「ひとはどうあれ自分はうまくいく」と思っておられることが多いものです。TVとか新聞で災害が報道されていても自分のこととして中々実感できなくて根拠もないのに心のどこかに「自分はそうならないだろう」と思いがちなのと同じです。

まあ、思っているから手術もするのですが。

手術はほとんどの場合無事成功に終わるのですが仮に同じ手術結果であっても評価は様々です。
それには眼の問題ではなくそれぞれのものの見方の違いによることが多いと思います。というのは実際に眼から脳に送られる視覚情報は同じでも人によってその情報の処理や評価がかなり違うのがその主な原因です。

例えばあなたがバス停で23番経路のバスが来るのを待っていたとします。JR駅に行くバスです。
向こうからバスがやってきました。バスが近づいてきてバスの経路を示す標示窓の数字がだんだん大きくなって見えてきました。

さて。あなたはどの時点でその数字が見えたと判断しますか?

僕はうすぼんやりと数字が見えてきてそれが「23」と確信できた時にその情報に対して求めていたものは得られたと感じますから最後まではっきりと見えることがなくてもそれほどはっきり見えないことにストレスを感じることはありません。

この例と同じようにものを見るときに必要な情報が得られていればストレスを感じない人は「白内障の手術をしたおかげで良く見えるようになった」と素直に喜べるはずです。

何故なら…

白内障の手術で唯一手術直前より改善するのは明るく見えることだけです。近視の人ならよくわかると思いますが見え方はうすぼんやりでも周りが明るいとそれが何なのか、例えば「23」なのか「28」なのかの判断はつきやすくなります。それと同じで唯明るくなるだけですがピントは合っていなくても術後見えやすくなったと素直に喜べるのです。

ところがはっきりと輪郭までクリアに見えないと良く見えたとは思えない人は「23」というのは判断できても最後まで焦点は合わないのではっきりとクリアに見えないことが耐え難いストレスとして感じてしまうのです。
「「23」だというのは判ります。でもはっきり見えないんです!」となります。これが中々許せないみたいです。僕の患者さんで手術前にこの話(術前より良くはならない。明るく見えるようになるだけ)をさんざん聞かされていたのですが術後に「古賀先生が言わした通りやった!確かにその通りやったばってん!許せん!」と言って自分の術後の結果を受け入れることができず1年以上精神的に苦しまれた方もあります。生活に何の障りもないのですが結果は期待はずれだったわけです。

何故こんなに外見から見たらどちらの手術も成功なのに評価に関してとても個人差が大きいかというと。
脳の情報処理のあり方にその原因があります。脳は外界から入ってくる情報を脳の都合で勝手に書き換えたりして人間に見せています。それは元々種を維持するために絶対必要な機能だったのですが時としてその機能が当事者の人間にとって悩みの種になることがあるのです。以前書きました「耳鳴りのはなし」もこれにあたります。

実は人間の眼から得られる視覚情報は私達が見ていると思っている映像に数%しか影響していないことが判っています。数十%ではなく数%です。例えばほとんどの人がこの世の中はフルカラーで見えていると思っていますが視神経の分布から考えると視野の中心以外はモノクロ映像でしか見えてないはずなのです。ところが眼から脳に送られる情報はほとんどがモノクロのはずなのに自分達はフルカラーの世界を見ているのです。これは脳の持つ特殊な能力で無いものをあたかも有るようにして情報に肉付けする能力のお陰です。フルカラーで見えているのは視野の中心部のわずかな範囲なのですがそのつながりから脳はモノクロ映像に色付けをして私たちに見せていると言われています。

逆に脳は必要ない情報はカットしてしまうこともできます。

nor-gantei


これは眼底の写真で瞳孔を開いて外から光をあてて観察します。眼底の動脈は体の中で唯一直接見ることのできる動脈です。眼底動脈を観察することで体内の動脈の状態を予測することができます。特に脳内の動脈とは構造がそっくりなので脳動脈硬化症の診断に以前は良く使われていました(現在はCTやMRAなどで診断することが一般的です)。
眼底

上の図は眼底動脈と網膜(視神経)の位置関係を模式的に著わしたものです。この図で判るように眼底動脈は視神経の前に位置するので普通に考えれば自分の眼の前に物があるのと同じ位置関係なんです。

さて「あなたはあなたの眼底動脈が見えますか?」

見えませんよね。

実際には脳に視覚情報として上がっていくときには眼底動脈の存在はちゃんと伝えられていると言われています。しかしこの情報は人間にとって絶対不可欠な情報ではなく情報分析を必要としない情報なので脳が勝手に映像からその部分を削除して他の部分と違和感がないように映像をつないでいるのです。
飛蚊症で最初目の前にちらついていた黒い影がいつの間にか気にならなくなるのも同じメカニズムです。

またまた、前置きが長くなりましたが白内障の術後の評価もこの脳の仕事ぶりによって大きく個人差が出ます。
つまり大してシャープに見えていなくても必要な情報が得られれば事足りるという性格の方だと「23」だと判断した途端頭の中でははっきりと「23」が見えているようになります。逆に必要な情報はバスの経路の番号であるにもかかわらずその見え方までにもこだわる人にとってはシャープに見えていない事実が受け入れ難しとなります。たしかにはっきり見えていないのが理屈から言えば正しいので手術をして良く見えるようになるはずがないのに「良く見えるようになった!」と喜んでいる人の方が勘違いしているのだけれど脳の持っている特殊な能力によって自分を救っているのも事実です。

さて、あなたのものの見方はどちらでしょうか?

百歳になったら

BlogPc100


変形性膝関節症の96歳になるおじいさん。両膝が歩く時痛くて辛いということで受診された。症状を聞くと歩く時関節がきしんで一歩一歩に痛む、最近は黙っていてもうずくように痛む。それ以外は食欲もあるし特に気になることはないらしい。問診していてとても96歳とは思えない。肌艶もいいしやや太り気味だ。76歳と言っても通る。
しかし、診ると両方の膝はかなり変形していてO脚が顕著だ。右膝は炎症性の熱感もあり腫れている。滑液包に水も溜まっている。左膝も水は溜まっていないが同様に変形がある。なかなかキビシイ状況で到底完全治癒は望めない。もちろんご本人もそれは分かってあってそこまでは望んでおられない。「手術は望んでいないし痛みがもう少し軽くなって楽に歩けたらそれで良い」と言われる。
付き添ってきた家族に聞くと膝以外は至って健康で今でも畑仕事をしているという。家族としては危ないので畑に行くのを止めてもらいたいのだが本人が言うことを聞いてくれないらしい。

「畑仕事さすとですか~!?」
「はい。鍬も使います」
「え~!耕すんですか?膝は痛くなかとですか?」
「はあ。痛いのは歩く時だけ。それがこの頃は黙っていても痛むようになってきました。何とかならんでしょうか・・・」

状況はなかなかキビシイが僕は諦めの悪い男で患者さんが諦めない限りこちらから諦めることをできない。
出来ない理由は性分でもあるのだが今まで「駄目かも・・・」と思っていた症例が驚くような良い結果を出すことがあるのを何度か経験しているからだ。

「何度か」だ「何度も」ではない。

おまけに自分が治したと言う実感も無い。「凄い生命力だなあ!」とか「ついてたなあ・・・」とか患者さん頼りだ。それでもそこに僕も関わっていて何らかのお手伝いは出来たという気持ちはある。だから簡単にはこちらから諦める気にならない。とにかくやるだけのことはやってみたい。

まず、関節に溜まった水だがこれは「そば粉湿布」が一番。からだに起こる症状は特別な場合を除いて体を守るために必要な現象だ。水が溜まるのもそう。本人は腫れて痛んだり曲げにくかったりとつらい事ばかりだが滑液包にいつもより水が溜まって関節の骨同士がぶつかり合ってこれ以上傷つけ合わないように引き離してクッションの役割をしたりギブスの役割をしたりしている。だから原則として水は抜かない方が良い。しかし理屈はそうだが時に過剰に水が溜まることがある。こんな時そば粉湿布をすると必要充分な水を残して余分な水は抜けてくれるからそれだけでも随分楽になる。イチオシの民間療法だ。注射で抜くより余程的確で安全だ。

炎症は単純な使い過ぎからくるものであれば使い過ぎをなくして鍼治療をしていけば何とかなる。使い過ぎの一番は体重オーバーだ。しかし体重コントロールこそ患者さんにとって一番難しいテーマだ。このおじいさんにとってもこれが一番難しい。まず高齢ではあるが膝を除いては至って健康なので極端に生活習慣を変えたくない。高齢な方のからだは変化を好まない。残念なことにおじいさん健啖で畑仕事と食べることが楽しみなのだ。まあ、やるだけやってみよう。

治療を開始して2ヶ月。そば粉湿布の効果もあって水は抜けたし炎症性のうずく痛みも取れた。しかし歩く時の痛みは相変わらずだ。

そうこれからの問題はおじいさんの体重だが先に述べたように高齢なので生活習慣を変えさせたくない。どうする。

「膝の腫れも熱も取れましたね」
「痛みはどうですか」
「うずきはなくなったばってん歩けば相変わらずギシギシ痛みます」
「そうですね。おじいさんの今の体重だと腫れが引いても熱が治まっても歩けば痛みますね」
「この状態で痛みを軽くするには体重を減らすか筋力を増やすかですがご高齢なので無理が出来ません」

「でも。まあ!100歳になる頃には自然と痩せて来るはずだからそれまで待つのが一番無理のなか方法ですね。」

「その代わりそれまで(100歳)にあと4年ばかりあるから最低今の状態ば維持していかんばです。そしたら何とかなると思いますよ。今すぐに治しきらんで申し訳なかとばってん僕の技術ではこれからが時間がかかると思います。そこに行き着くまで僕も頑張るけんおじいさんも怪我ばせんごと用心してくださいね。」

「100歳ですか!?」

「はい。100歳です」
「直ぐに治しきらんですみません」
「でも体重が今より減ってくれば今の膝の状態でも痛みは軽くなると思います。おじいさんはまだからだが若いから沢山食べられるし食べたものが身になってしまいます。でも100歳くらいになるとさすがにからだが小さくなってくるはずだからそれまでにこれより悪くならなければ今よか痛みは軽くなると思いますよ。そうしたら畑に行くのも今より楽になるはずですよ」

「畑!」

「そう。家族は畑に行かれることを心配されているけれど是非、畑仕事は続けてくださいね。今止めちゃうと筋力ががた落ちするし生活のリズムが変わってしまって良い事無いから。」
「たしかに、転んだりする心配はいっぱいあってリスクはあるけれど安全を願って畑仕事を止めて筋力トレーニングをして筋力維持する方法にはまた違ったリスクがあります。どちらにしてもリスクはあります。それならおじいさんの好きなことをしている方が良いと僕は思っています」

「畑も良かとですか?!」

「はい。その方が良かと思います。でも、ご家族が心配なさっているからくれぐれも怪我のないように用心してくださいね。」
「まあ、いくら用心していても、それでも転ぶときは転ぶとばってんね。畳の縁に引っかかって転ぶこともあるしそのときはその時ね」
「はい。よろしくお願いします!!」

おじいさんの眼はキラキラして声は青年のような響きになった。

少し良いことをしたみたいで僕も心が弾んだ。

走っちゃダメ?

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「もういい歳してるんだから転んだらお終いよ!用心して歩いてね!走ったりしないでね!」

とご家族から言われた経験のある高齢者は少なからず多いと思います。
でも私の考えではこれは間違いだと思っています。

私の治療室では患者さんに「10mでも良いからあなたが無理せず走れる距離で良いから常日頃走ることを忘れないでくださいね!」とお願いしています。

私が高齢者の方にこうお願いするには根拠があります。

人間は歩いていれば偶に躓くことがあります。もちろん高齢者の場合はその頻度が高くなります。躓くだけならまだ大丈夫ですが転倒してしまうと高齢者の場合大怪我になることもあるので高齢者のお身内の方たちはとても心配されます。それで転倒することを心配して「走っちゃダメ!」と言われるのですが用心していても躓く時は躓きます。部屋で畳の縁で躓くことだってあります。

確かに走っていて躓いたら大怪我になる可能性は更に大きくなりますから「走っちゃダメ!」だと言いたくなる気持ちはわかります。

でも私が知る限りでは高齢者の転倒による怪我は走っている時よりも歩いている時の方が圧倒的に多いと思います。中には大腿骨骨折などのような大怪我になることもあります。

人間は二足歩行なので躓いたら下手をすれば転んでしまうのですが特別な場合を除いて躓く時は左右どちらか一方のつま先が引っかかって躓きます。だからもし引っかかっていないもう一方の足が体勢が崩れないように素早く反応すれば「オットット!」だけで済む筈なのです。

ところが日常早い動きをしなくなってしまっている人はこういうとっさの動きが苦手になっています。頭では分かっていても体が動きません。結局、大きく体勢を崩して転倒してしまって大怪我をしてしまうことにもなりかねません。

つまり状況に応じて素早い動きを足ができれば転倒しなかったかもしれないのにです。

さて、下肢の早い動きと言えば一番簡単な動きは走ることです。「オットット!」の動きも走っている時の動きとよく似ているので日ごろ走るような素早い動きをしている人は高齢者でもそう簡単に転倒までにはなりません。

もちろん、走るときの転倒の危険もありますが意識的に走っている時は案外転倒しないものです。転倒は無我夢中になってしまったりついうっかりしている時で意識していて転ぶことは少ないと思います。これは走っていても歩いていても同じようです。

個人差があるのでその方の体力に合わせてメニューを決める必要がありますが、高齢者の転倒予防の為の走りであれば人によっては10mでも十分ではないかなと思います。つまり、速筋を鍛えるのには毎日数秒あればよいというのと同じ理屈が成り立つのではないかと思います。

足の速い動きを維持するためには走るという行為が必要だとしても、それには怪我をするかもしれないというリスクがあります。しかし怪我を恐れるあまり、早い動きを自制してばかりいると逆に思うような動きができなくなってしまい怪我のリスクが出てくるという矛盾があります。

どちらもリスクには違いありませんがどちらのリスクがまだ良いかと問われたら、私なら「高齢になっても走る」方のリスクを選びたいと思います。何故ならそうすることによって活力のある動きを得られるというメリットに強く期待するからです。

因みに、いくつになっても躰は鍛えれば結果がついてきます。高齢者であっても運動能力は鍛え方次第で相当維持することができます。以下はその証明です。

NHK クローズアップ現代 ”スーパー高齢者のヒミツ”

冬は鬱が出やすいとTVで言ってたが…

TVのニュースで「冬の季節になると◇やたらと食欲がわく◇やたらと眠くなる◇鬱っぽくなるひとが多くなる」と言っていてその後に何がその理由かを解説するのかと思いきや情報の放り投げでした。

では。代わりに私が勝手な解釈で解説します。冬の三点セットについて

答えは脳の発達の歴史を紐解けば簡単明瞭に出てくる。

人間の脳はある日突然それ以前の旧式の脳を捨てて発現したのではない。旧式の脳(旧皮質)の上に新型(新皮質)が被さるように出来上がったのだ。これは人間が現れるずっと以前からそうであって脳の発達の歴史は神経機能が現れた頃から繰り返し繰り返し旧型の上に新型を被せる形で進化してきた。だから私たちの脳の中に今なお原始的な脳が存在しているわけだ。ではそれらは存在しているだけで機能していないのかといえばちゃんと今でも僅かではあっても機能していると私は思っている。

ではどういう機能が残っているのかと言えばいわゆる「種を絶やさないために働いていた本能」だ。

私たちの祖先がまだ虫けらみたいだったときその種が絶えないために働いた本能、たとえば雨が降って逃げ遅れたら生命の危険にさらされる可能性のあるような脆弱な生物だった頃は本能的に雨を避ける行動は種の保存のためには必須の能力だ。そういう生物の身になって想像すれば天候が崩れる前には「なにか胸騒ぎがする。ここにじっとしておれない。脚が勝手に動いて木によじ登ってしまう~!」そんな能力・本能。

理由なんて判らない判らないけど自然に動かされてしまう。

先のスマトラ沖地震で象が津波が来る遥か前に海岸から山手の方に走り出した現象もこれだ。こういう能力で種の保存にかかわることであれば私たち人間の脳の中にも未だに色々残っているはずだと考えてる。

生命の危機にかかわる自然現象だけではない種の保存と言えば生殖もそうだ。春秋に躁が増えるのは生殖と関係があるのだろう。野生の動物は繁殖期になると寝食を忘れて生殖に励む種も多い。まるで躁病の患者さんが夜中に一睡もせず大声出しているのとよく似ている。動物園のサル山のお猿さんも繁殖期はお尻を真っ赤にして興奮している。おそらく人間も同じように太古には繁殖期が春秋にあったのだろう。

では冬の「食欲・眠気・鬱傾向」は何に由来するのか?

前置きが長くなったが、答えは「冬眠という本能」…「食いだめ」しなきゃひと冬越せないからいつになく食欲が増し、「冬眠する」からには眠くならなきゃならない。「じいーっと巣に篭れる」のは外に出たくないなぁと言う鬱的な気持ちになるからでそうでなければそんなにひと冬じっとしておれない。

人間が人間でなかった頃のご先祖に冬眠をしていた種がいたんですね。その頃は当たり前の自然現象だったのが今では冬眠なんかしなくても種を維持できるから種としてはやめちゃったけど冬になるとその名残が出てしまうひとが結構いるということです。

鬱で悩んでおられる方の中には自分の身体がひとより劣っているとコンプレックスを持つ方もおられますが劣っているのではなくて本来人間誰でもが持っている本能がひとより強く出ているだけのことなんですが。。。

食べたいだけ食べて眠くなった時に寝て動ける時に動いてなんてスタイルで生活できるスローライフの世の中だったらこれらの本能が少々強く出てもなあんにも困らないんですが。。。

注文の多い鍼灸師

鍼灸治療の効果には個人差があります。その理由は一人ひとりの持つ「自動調整力の大きさ」と「自動調整機能の働きの度合い」の差だと思います。

具体的に言えば「自動調整力」が100pointある人より200point持っている人の方が治癒力は有りますし「自動調整力」が200pointの人でも「自動調整機能の働き」が100%機能している人と40%しか機能していない人であれば治癒力に大きな差が出ます。後者は「自動調整力」が100pointの人よりも治癒力が劣るかもしれないのです。

鍼治療の効果に個人差があるのにはこのような理由によることもあります。

さて私が鍼灸師として出来ることは「自動調整機能」が充分に働かず病や怪我を治せないでいる人に鍼灸を施して「自動調整力」を100%引き出すことです。しかし、私は名人ではないので100%以上は私の力では作り出せません。しかし多くの患者さんは「自動調整力」に延び幅を持っておられます。つまり「自動調整力」を現在100pointしか持っていない方でも「生活習慣の改善」「湯液療法」「適度な運動」等々を実践することで「自動調整力」が120pointになったり200pointになったりするのです。その増えた分だけは私が有効に引き出すことが出来るのでその分治療効果が上がります。

しかし「生活習慣…」等々諸々のことは患者さんご自身が主体的に実践していただかないと全く結果を得ることが出来ません。しかし実践したあかつきには必ず何がしかの「自動調整力」の増加をみます。それが判っている私としては「伸び幅」を持つ患者さんにはあれこれ注文が多くなってしまいます。

「さあ!歩きましょう!」「さあ!腹七分ですよ」「さあ!筋力を」・・・です。

以上が私が注文の多い鍼灸師である由来です。

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