父は1988年に他界しましたがその亡くなるまでの数日間の内に色々な死脉を診ることができました。死脉は「脉法手引草」によれば雀啄(じゃくたく)・屋漏(おくろう)・弾石(だんせき)・解索(かいさく)・魚翔(ぎょしょう)・蝦遊(かゆう)・釜払(ふふつ)の7種類があっていずれの脉も死ぬか死ぬほど重篤な病に陥った時の脉だとされていて「七死の脉」と呼ばれます。
父は当時の医学では病因が充分説明できないまま間質性肺炎で亡くなってしまいました。しかし現在解っている色々な医学情報に照らし合わせてみると今でこそ説明できることが見えてきます。
つまり父はnonAnonB型肝炎と診断されて3年半にわたって慢性肝炎の治療を受けていましたが、おそらく慢性の肝炎と言うのはC型肝炎だったと思います。
当時は慢性肝炎に小柴胡湯を処方することが多くありました。結果、その副作用によって間質性肺炎を起こしてしまったのがそもそもの原因だったようです。
当時まだC型肝炎は確定されておらずその病態も私達は充分知らされていませんでした。
私自身の事を言えばまだ鍼のことだけで精一杯で漢方薬の勉強まで手がまわっていませんでしたから小柴胡湯を飲むと上腹が張って気持ち悪いと父が言うのを「漢方薬は副作用が無いから」などと馬鹿なことを言って無理に飲ませたりしていました。結局発症から3年半後に間質性肺炎を起こして入院10日間にしてあっという間に亡くなってしまいました。
入院して4日ほどは熱性疾患特有の脉(浮洪大数)をしていましたが徐々にその勢いが増していき「解索」の脉を診るに至りました。この脉は一見ただの熱性疾患の脉の様にも診えますが脈絡のないような一拍一拍の中に更にザラザラしたような脈動を感じるのです。初めて診る脉なので「脉法手引草」を片手に状況からしてこれが「解索」の脉なんだろうなと判断しました。
その2日後に医者から予後不良の宣告を受けましたがあまり驚くことはありませんでした。5日目から9日目までは「解索」の脉が続いていましたが亡くなる最後の一日は尿量の減少に伴い硬く一見力強そうだがちょっと指で押すと今までの硬さはどこかに散り々々になって姿が見えなくなってしまうような脉(おそらく「弾石」の脉)がしばらく続きました。
それからしばらくして意識がなくなる頃にはよくよく注意しないと脉を見逃すほど脉がか細くなりスーットン、スーットンといった今にも途絶えてしまいそうな脉(おそらく「魚翔」の脉)を診ました。そしてその数時間後にはとうとう亡くなってしまいました。
父の死に際に診た脉は急性劇症の脉とその後の予後不良の多臓器不全末期の脉でそれまで私が臨床で診てきた循環器疾患の発症を予兆するような脉状とは全然違っていました。鍼灸師が臨床現場でこのような重篤な脉状を観察することはあまりありませんので私にとっては貴重な経験となりました。
<参考> 七死の脉(「脉法手引草」より抜粋)
雀啄 | じゃくたく | 連なり来ること三五啄、是れを候うに指の下に急に連なり来て息数なし。俄に絶して暫く来らず。筋肉の間にありて雀の物をついばむがごとし。此脉を見わせば四五日は保つ事有りといえども、脾胃の絶脉なるが故に終には死するなり。 |
屋漏 | おくろう | 半日に一滴落つ。是れを候うに、筋肉の間にありて、時々踊りて相続かず、二息の間に只一動も来り又暫く止るなり。屋の雨漏の連り落ちて又止まるが如し。此の脉を見わせば胃の気の絶脉なるが故に死するなり。 |
弾石 | だんせき | 硬くして来り、尋(たず)ぬれば即ち散ず。是を候うに、石を弾くが如し。按すも挙ぐるも強く物を提(ひっさ)ぐが如く集り来るなり。腎と肺との絶脉なり。 |
解索 | かいさく | 指を搭(う)って散乱す。是を候うに筋肉の上にあり。動はやくしてちりじりになりて集まらず、乱れ縄を解く状(ジョウ:かたち)の如し。五臓の絶脉なるが故に死期にあらわるゝ脉なり。 |
魚翔 | ぎょしょう | 有るに似又無きに似たり。是を候うに。皮膚にあり。去る事疾く、来る事遅し。寸部には脉動かずして、魚の尾ばかりひらひらと動かす形のごとし。腎の絶脉なり。是を見わせば六時より外は生きずといえり。 |
蝦遊 | かゆう | 静かなる中に踊ること一躍なり。是を候うに、皮膚にあり。細く長く来るなり。能々尋ぬれば失せて行方知らず、見われる事は遅く、失せることは早し。蛙の水中に遊んで卒かに水の底に入り又水の面にあらわるるが如し。脾胃の絶脉なるゆえに立所に死するなり。 |
釜払 | ふふつ | 躁(さわがし)くして定りがたし。是を候うに、皮肉にあり、出る事有りて入る事なし。肥たる羮(コウ:あつもの)の上を探るが如し。指の下に湯の湧きたる如く覚るなり。この脉旦(あした)に見わるれば夕に死し、夕に見わるれば旦に死すと知るべし。 |