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プラセボとはニセ薬のことだ。ニセ薬というと患者をだまして暴利を貪る悪徳医者の道具みたいに思ってしまう人も多いかもしれないが実はそうではなく医療技術の中でも高等技術に入る。医師と患者の間に確固とした信頼関係が成り立っていなければならない。この信頼関係は医師の資質によって得られるものだがそれには高い技術(話術や人間性など)が必要だ。 患者さんの症状の中には主に精神的な要素によって引き起こされているものも少なくない。そういう場合に適切なカウンセリングがなされると症状が軽減したり消失したりすることも多い。しかし中には何らかの具体的な物理的アプローチ(投薬や施術など)がないと治療を施されたと実感できない患者さんもいる。このような時には例えばニセ薬が有効に働くことがある。これは患者を騙していることには違いないが患者が望んでいる状態(症状の軽減や消失)を実現するのに有効だ。もちろん当たり前のことだが副作用はゼロだ。しかしその有効性を実現するためには患者と医師との間にしっかりとした信頼関係が築かれていなければならない。 プラセボが旨くいくと不必要な投薬が防げるので薬害の心配もない、患者の経済的負担もない、医療費の節約にもつながる。しかし現実はプラセボは今の医師には使いたくても使えない。 もし患者にプラセボを行使しようとする。乳糖などをあたかも本物の薬の様に分封して処方したとする。患者は調剤薬局で服薬指導を受ける時に薬剤師から「○○さん、あなたが処方されたのは乳糖です。特に治療薬が必要ないのでとりあえず毒にも薬にもならない安全なものを出しておきます。もちろん副作用は特にありません。」と説明されて「ああ、良かった」と喜ぶ患者がいるだろうか。騙されたと医師を恨みこそすれ自分のことを良く診てくれて有難いと感謝する者などいないだろう。 だから現在の臨床現場ではプラセボは使いたくても使えない。使わないから臨床医の話術は習熟度を増さないので患者を言葉によって導けない。昔の町医者は巧妙に使っていたのだが。情報公開の悪影響のひとつ。情報公開をして患者が不利益を得てしまっている。何でも患者が知る権利があるというのはこういうことにもつながる。しかしこういうことになったのには一部の医者に不逞の輩がいて自分の利益のために制度(国民皆保険)を悪用したりするので「性善説的」に作られていた制度が徹底的に「性悪説的」に改正されてきた結果だ。良心ある医師が医師の自由な判断で最小限の負担(患者負担・国費負担)ですむような医療が計画できなくなってしまった。

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